・・・ 仁右衛門は押黙ったまま囲炉裡の横座に坐って佐藤の妻の狂態を見つめていた。それは仁右衛門には意外の結果だった。彼れの気分は妙にかたづかないものだった。彼れは佐藤の妻の自分から突然離れたのを怒ったりおかしく思ったり惜んだりしていた。仁右衛・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と頸の白さを、滑かに、長く、傾いてちょっと嬌態を行る。「気取ったな。」「はあ。」「一体こりゃどういう事になるんだい。」「慈姑の田楽、ほほほ。」 と、簪の珊瑚と、唇が、霞の中に、慈姑とは別に二つ動いて、「おじさん・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ と云って、肩でわざとらしくない嬌態をしながら、片手でちょいと帯を圧えた。ぱちん留が少し摺って、……薄いが膨りとある胸を、緋鹿子の下〆が、八ツ口から溢れたように打合わせの繻子を覗く。 その間に、きりりと挟んだ、煙管筒? ではない。象・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・良人沼南と同伴でない時はイツデモ小間使をお伴につれていたが、その頃流行した前髪を切って前額に垂らした束髪で、嬌態を作って桃色の小さいハンケチを揮り揮り香水の香いを四辺に薫じていた。知らないものは芸者でもなし、娘さんでもなし、官員さんの奥様ら・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・人間なら好い齢をした梅干婆さんが十五、六の小娘の嬌態を作って甘っ垂れるようなもんだから、小※啼きながら頻りと身体をこすりつけて変な容子をする。爰で産落されては大変と、強に行李へ入れて押え付けつつ静かに背中から腰を撫ってやると、快い気持そうに・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・花代は一時間十銭で、特別の祝儀を五銭か十銭はずむルンペンもあり、そんな時彼女はその男を相手に脛もあらわにはっと固唾をのむような嬌態を見せるのだが、しかし肉は売らない。最下等の芸者だが、最上等の芸者よりも清いのである。もっとも情夫は何人もいる・・・ 織田作之助 「世相」
・・・情緒の過剰は品位を低くする。嬌態がすぎると春婦型に堕ちる。ワイニンゲルがいうように、女性はどうしても母型か春婦型かにわかれる。そして前にいったように、恋愛は娘が母となるための通路である。聖母にまで高まり、浄まらなければならない娘の恋が肉体と・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・から出てしまったのであるが、宿へ帰って、少しずつ酔のさめるにつれ、先刻の私の間抜けとも阿呆らしいともなんとも言いようのない狂態に対する羞恥と悔恨の念で消えもいりたい思いをした。湯槽にからだを沈ませて、ぱちゃぱちゃと湯をはねかえらせて見ても、・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・になりはしないか、これは誰しも私と同意見に違いないが、いったいあの自作に対してごたごたと手前味噌を並べるのは、ろくでもない自分の容貌をへんに自慢してもっともらしく説明して聞かせているような薄気味の悪い狂態にも似ているので、私は、自分の本の「・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・けれどもそれは、ほんの一年間だけの狂態であった。私は、そんな服装を、憤怒を以てかなぐり捨てた。別段、高邁な動機からでもなかった。私が、その一年生の冬季休暇に、東京へ遊びに来て、一夜、その粋人の服装でもって、おでんやの縄のれんを、ぱっとはじい・・・ 太宰治 「服装に就いて」
出典:青空文庫