・・・慶応四年春、浪華に行幸あるに吾宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに天皇の御さきつかへてたづがねののどかにすらん難波津に行すめらぎの稀の行幸御供する君のさ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・死は音もなく歩み頭蓋の縫目より呪文をとなえ底なき瞳は世のすべてをすかし見て生あるものやがては我手に落ち来るを知りて 嘲笑う――重き夜の深き眠りややさめて青白き暁光の宇宙の一端に生るれば死はい・・・ 宮本百合子 「片すみにかがむ死の影」
・・・ けれ共、私の悲しさをいやすべく、二親の歓びを助くべく、今まで見た事もない様な美くしい児を、何者かが与えて下すった事は、私には暁光を仰ぐと等しい事である。 二日の午前九時四十分 健康な産声を高々と、独りの姉を補佐すべく産れて来た・・・ 宮本百合子 「暁光」
・・・それだからこそ、映画女優を志願して、故郷のオクラホマからハリウッドへは行かずニューヨークへ出たミス・スチュアートが、メトロ映画会社に認められて契約を結んだ、というような小事実が、僥倖の一つとして日本の読者にまで写真入りで伝えられるのである。・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・ 真の芸術の厳な暁光におっちょこちょいの人達は驚異の目を見張りやがてはどこへかその姿をかくして仕舞うことを希望し又必ずそうなくてはならない事であると思う。 宮本百合子 「無題(二)」
・・・人民大衆は、命に代えた労苦や、はかない僥倖によっていくらか蓄積した貯金を、今日そのような勢いで消耗しつつある。そういう人民大衆が最も直接に最も容赦なく戦時利得税にしろ、財産税にしろ支払わされる立場になっている。……しかも、その金の行方は実際・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ これより二年目、寛永三年九月六日主上二条の御城へ行幸遊ばされ妙解院殿へかの名香を御所望有之すなわちこれを献ぜらるる、主上叡感有りて「たぐひありと誰かはいはむ末にほふ秋より後のしら菊の花」と申す古歌の心にて、白菊と名附けさせ給由承り候。・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ これより二年目、寛永三年九月六日主上二条の御城へ行幸遊ばされ、妙解院殿へかの名香を御所望有之、すなわちこれを献ぜらる、主上叡感有りて、「たぐひありと誰かはいはむ末にほふ秋より後のしら菊の花」と申す古歌の心にて、白菊と名づけさせ給う由承・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・わたしはこうして僥倖を当にしていつまでも待つのが厭になりました」「随分己もお前も方々歩いて見たじゃないか」「ええ。それは歩くには歩きましたが」と云い掛けて、宇平は黙った。「はてな。歩くには歩いたが、何が悪かったと云うのか。構わん・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・しからばあとに残されたのは、皇居離宮などのまわりをうろつくか、または行幸啓のときに路傍に立つことのみである。それは平時二重橋前に集まり、また行幸啓のとき路傍に立っている人々の行為と、なんら異なったものでない。それは我々の経験によれば、警衛で・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫