・・・「叔父さんは海は嫌いですか」「いや、そうでもない。以前は山の方がよかったけれども、今は海が暢気でいい。だがあまり荒い浪は嫌いだね」「そうですか。私は海辺に育ちましたから浪を見るのが大好きですよ。海が荒れると、見にくるのが楽しみで・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・僕は臆病で、血を流すのが嫌いである。幸徳君らに尽く真剣に大逆を行る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。彼らの一人大石誠之助君がいったというごとく、今度のことは嘘から出た真で、はずみにのせられ、足もとを見る暇もなく陥穽に落ちたのか、どうか・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 林と私はそれまで一緒に遊んだりしたことはなかったが、いつもニコニコしている子だから嫌いではなかった。力の強い子で、朝、教室の前で同級生たちを整列させているとき、級長の号令をきかないで乱暴する子があると、黙って首ッ玉と腕をつかんでひっぱ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・二 妾宅は上り框の二畳を入れて僅か四間ほどしかない古びた借家であるが、拭込んだ表の格子戸と家内の障子と唐紙とは、今の職人の請負仕事を嫌い、先頃まだ吉原の焼けない時分、廃業する芸者家の古建具をそのまま買い取ったものである。二階・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・太十は従来農家の附属物たる馬ととの外には動物は嫌いであった。猫も二三度飼ったけれど皆酷く窶れて鳴声も出せないように成って死んだ。猫がないので鼠は多かった。竹藪をかぶった太十の家は内も一杯煤だらけで昼間も闇い程である。天井がないので真黒な太い・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ところが私は医者は嫌いだ。どうか医者でなくて何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当った。建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶わぬのみか、同時に立派な美術である。趣味があると共に必要なものである。・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
僕は昔から「人嫌い」「交際嫌い」で通って居た。しかしこれには色々な事情があったのである。もちろんその事情の第一番は、僕の孤独癖や独居癖やにもとづいて居り、全く先天的気質の問題だが、他にそれを余儀なくさせるところの、環境的な・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・一言すれば、それは色々の人が人生に対する態度だな……人間そのものではなくて、人間が人生に対する態度……というと何だか言葉を弄するような嫌いがあるが、つまり具体的の一箇の人じゃなくて、ある一種の人が人生に対する態度だ、而してその一種の人とは即・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・○くだものの嗜好 菓物は淡泊なものであるから普通に嫌いという人は少ないが、日本人ではバナナのような熱帯臭いものは得食わぬ人も沢山ある。また好きという内でも何が最も好きかというと、それは人によって一々違う。柿が一番旨いという人もあれば、柿・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・いいえどかれません、じゃ法令の通りボックシングをやりましょうとなるだろう、勝つことも負けることもある、けれども僕は卑怯は嫌いだからねえ、もしすきをねらって遁げたりするものがあってもそんなやつを追いかけやしない、あとでヘルマン大佐につかまるよ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
出典:青空文庫