・・・しかし人間の仕事は人情ということを離れて外に目的があるのではない、学問も事業も究竟の目的は人情のためにするのである。しかして人情といえば、たとい小なりとはいえ、親が子を思うより痛切なるものはなかろう。徒らに高く構えて人情自然の美を忘るる者は・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・少年は終身の少年に非ず、三、五年をすぐれば屈強の大人たるをいかんせん。政治経済は有用の学なり、大人にしてこれを知らざるは不都合ならん。今一歩を譲り、人生は徳義を第一として、これに兼ぬるに物理の知識をもってすれば、もって社会の良民たるに恥じず・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・ けだし社会は個々の家よりなるものにして、良家の集合すなわち良社会なれば、徳教究竟の目的、はたして良社会を得んとするにあるか、須らく本に返りて良家を作るべし。良家を作るの法は、兄弟姉妹をして友愛ならしめ、親子をして親ならしむるにあり。而・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・ 柩の両端に太い麻繩は結いつけられて二人の屈強な男の手によって、頭より先に静かに――静かに下って行く。 降りそそぐ小雨の銀の雨足は白木の柩の肌に消えて行く。 スルスル……、スルスル、麻繩は男の手をすべる。 トトト……、トトト・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・しかも、怪我したりする年齢がこれまでは二十一歳以上の屈強な働き盛りのものが自然第一位であったのに、昭和十三年には十六歳から二十歳までのものが二三・六パーセントとなって災難の第一位を占めていることも注目されるのである。 事務員や女教員その・・・ 宮本百合子 「女性の現実」
・・・塩原では、臨時事務所のようなところが出来て、そこでは屈強な若者が十数人鉢巻をして、山積したハガキを書いている。通行人の寄附を待つためだろう。往来に机まで出し、選挙事務所のような有様だ。日日は、頻りに投票ハガキの多いこと、為に中央郵便局の消印・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ そうやって待っているのが男ばかりなのも一つの光景であると思う。屈強な男ばかりがつめかけるのである。 女はつつましくうちからもって来るお弁当を使うのだろう。毎日のことで格別そちらの群集に目を向けるでもなく、若い女事務員が小さい組にな・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
・・・あとに残ったのは究竟の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓を鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。これは老人や妻子を弔うためだとは言ったが、実は下人ども・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・学問も事業も究竟の目的は人情のためにするのだ。そういう意味のことが実に達意の文章で書いてある。あれを読んでわれわれは実に打たれた。ああいうふうに人生のことのよく解っている人ならば、あの哲学もよほど深いところのあるものに相違ない。そういう意味・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
・・・救われずして地獄の九圏の中に阿鼻叫喚しているはずの、たとえば歴山大王や奈翁一世のごとき人間がかえって人生究竟の地を示したか。これは未決問題である。宗教の信仰に救われて全能者の存在を霊妙の間に意識し断乎たる歩武を進めて Im schnen, ・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫