・・・いつか曇天を崩した雨はかすかに青んだ海の上に何隻も軍艦を煙らせている。保吉は何かほっとしながら、二三人しか乗客のいないのを幸い、長ながとクッションの上に仰向けになった。するとたちまち思い出したのは本郷のある雑誌社である。この雑誌社は一月ばか・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・死ぬ前には頭も狂ったと見え「あんなに旗を立てた軍艦が来た。みんな万歳を唱えろ」などと言った。僕は僕の父の葬式がどんなものだったか覚えていない。唯僕の父の死骸を病院から実家へ運ぶ時、大きい春の月が一つ、僕の父の柩車の上を照らしていたことを覚え・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
1 鼠 一等戦闘艦××の横須賀軍港へはいったのは六月にはいったばかりだった。軍港を囲んだ山々はどれも皆雨のために煙っていた。元来軍艦は碇泊したが最後、鼠の殖えなかったと云うためしはない。――××もまた同じこ・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・通りの海添いに立って見ると、真青な海の上に軍艦だの商船だのが一ぱいならんでいて、煙突から煙の出ているのや、檣から檣へ万国旗をかけわたしたのやがあって、眼がいたいように綺麗でした。僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると、覚えているだ・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・彼は好奇心の余り、小樽港に碇泊している船について調べて見たが、一隻の軍艦もいないことを発見した。而してその不思議な光は北極光の余翳であるのを略々確めることが出来た。北海道という処はそうした処だ。 私が学生々活をしていた頃には、米国風な広・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・何しろ貴方、先の二十七年八年の日清戦争の時なんざ、はじめからしまいまで、昨日はどこそこの城が取れた、今日は可恐しい軍艦を沈めた、明日は雪の中で大戦がある、もっともこっちがたが勝じゃ喜びなさい、いや、あと二三ヶ月で鎮るが、やがて台湾が日本のも・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・国の実力は軍隊ではありません、軍艦ではありません。はたまた金ではありません、銀ではありません、信仰であります。このことにかんしましてはマハン大佐もいまだ真理を語りません、アダム・スミス、J・S・ミルもいまだ真理を語りません。このことにかんし・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・すると、運の悪い時は悪いもので、コマンドルスキーというとこでバッタリ出合したのが向うの軍艦! こっちはただの帆前船で、逃げも手向いも出来たものじゃねえ、いきなり船は抑えられてしまうし、乗ってる者は残らず珠数繋ぎにされて、向うの政府の猟船が出・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・焼跡に暫らく佇んで、やがて新世界の軍艦横丁を抜けて、公園南口から阿倍野橋の方へ広いコンクリートの坂道を登って行くと、阿倍野橋ホテルの向側の人道の隅に人だかりがしていた。広い道を横切って行き、人々の肩の間から覗くと、台の上に円を描いた紙を載せ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・眠れなくなると私は軍艦の進水式を想い浮かべる。その次には小倉百人一首を一首宛思い出してはそれの意味を考える。そして最後には考え得られる限りの残虐な自殺の方法を空想し、その積み重ねによって眠りを誘おうとする。がらんとした溪間の旅館の一室で。天・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
出典:青空文庫