・・・ 日本のファシズムが露骨に言論統制をはじめ、文化抑制を強行し、文学者の存在権は文学上の業績ではなくて軍御用の程度によって保障されるようになって行ったとき、ファシストでない大多数の人々は、もちろんその軍部の乱暴を感じていた。無知、野蛮な専横・・・ 宮本百合子 「世紀の「分別」」
・・・あのように厳しく、そこから逃げ出せば法律で以て罰せられ、牢屋にまで送られた徴用の勤め先が軍部への思惑だけで、収容力もないほどどっさり徴用工の頭数だけを揃えていることや、そのために宿舎、食糧、勤労そのものさえ、まともに運営されて行かず、日々が・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
・・・世界の声のきける短波のラジオは使用禁止され、ラジオは軍部、情報局のさしずどおり、一九四五年八月のあと、大部分が虚偽であったとわかった大本営発表を叫びつづけていた。母子の愛情、夫婦や愛人同士の愛や希望や計画などは、ほんとに口に出すことの許され・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・ 昭和十三年―十五年という年は、一方に戦争が拡大強行されて、すべての文化・文学が軍部、情報局の統制、思想検事の監視のもとにおかれるようになりはじめた時代だった。これまでの文学が、しかけていた話の中途でその主題をさえぎられたように方向を失・・・ 宮本百合子 「壺井栄作品集『暦』解説」
・・・なぜならナガサキの例をみてもヒロシマの例をみても、原爆で大量殺戮されたのは実に人民であった。軍部の暴圧をしのんで艱難な日々をしのいでいた何の抵抗力ももたないおとなしい人民の男女、老人子供たちが、日本列島を戦略地点として確保することをいそいだ・・・ 宮本百合子 「「人間関係方面の成果」」
・・・日本の全文化が軍部と検事局思想部の露骨な統制のもとにおかれるようになった。翼賛会の初代の文化部長岸田国士、つづいて同じ位置についた高橋健二その他の人々は、文化の擁護のために何事もなさなかった。一九三〇年代のはじまりに「文学の純芸術性」を力説・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・文学の分野でも、情報局の形をとった軍部の兇悪な襲撃を、たった一人で、我ここに在りという風に、受けとめる豪気がひろ子にはなかった。みんなのいるところに出来るだけ自分も近くいたいという人恋しさがあった。けれども、重吉が、笑止千万という表情でひろ・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・その拙劣な真似に、日本の軍部の方式があった。「暁に祈る」が、その名称そのもので実証した。 黄色い特派員 ――里村欣三の満蒙通信―― 改造社が、里村欣三を満蒙特派員として派遣した。二月号・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ファシズム、日本の旧軍部の力が生きている実感が与えられていないならば、どうして東條の家族が「お父さんは生きている」というふうなおそろしいことをいえるでしょう。この言葉は極東裁判の、長い間の調査、それからまた最後の判決決定――世界の理性を嘲弄・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
出典:青空文庫