・・・陸の境界をそれぞれの山で区切られている国々は、大分にしろ、宮崎にしろ、特色をはっきり保有している。鹿児島と長崎など、ただ一夜汽車に乗るだけで、見ぬものにこうも違おうとは考えられまい。私の願いは、いつかもう一遍、これ等の国々を、汽車の線路より・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・恋愛、結婚が、内容に於ては実に個性的なものであると知り種々な成就の事実、失敗の事実に面した時、明かな理解と同情、並に混乱しない自他の境界を認めてそれを経験し考察し、深く静に各人の途を自ら見出して行くのが、健康な文化社会人の態度ではあるまいか・・・ 宮本百合子 「深く静に各自の路を見出せ」
・・・父の心を測りかねていた五人の子供らは、このとき悲しくはあったが、それと同時にこれまでの不安心な境界を一歩離れて、重荷の一つをおろしたように感じた。「兄き」と二男弥五兵衛が嫡子に言った。「兄弟喧嘩をするなと、お父っさんは言いおいた。それに・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・新聞に従事して居る程の人は固より知って居られるであろうが、今の分業の世の中では、批評というものは一の職業であって、能評の功を成就せんと欲するには、始終その所評の境界に接して居ねばならぬ、否身をその境界に置いて居ねばならぬものだ。文壇とは何で・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・しかし花房はそういう境界には到らずにしまった。花房はまだ病人が人間に見えているうちに、病人を扱わないようになってしまった。そしてその記憶には唯 Curiosa が残っている。作者が漫然と医者の術語を用いて、これに Casuistica と題・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・と秋三は煽てて云って、勘次の額に現れ始めた怒りの条を見れば見る程、ますます軽快に皮肉の言葉が流れそうに思われた。「勘よ、うちにビール箱が沢山あったやろが、あれで作ったらどうやろな?」とお霜は云い出した。 秋三はにやにや笑いながら、・・・ 横光利一 「南北」
・・・特に自分の行為や感情についてはその警戒を怠らないつもりであった。しかるにある日突然私は眼が開いた気持ちになる。そして自分の人間と作物との内に多分の醜い affectation を認める。私はこれまで何ゆえにそれに気がつかなかったかを自分なが・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・これはギリシア人などが極力驕慢を警戒したのと同じ考えで、ギリシアにおいても神々の罰が覿面に下ったのである。しかし彼はそのあとへ、「位よりも卑下すれば、我身の罰が当る」と付け加えている。自敬の念を失うことは、驕慢と同じく罰に価するのである。こ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・相重なった屋根の線はゆったりと緩く流れて、大地の力と蒼空の憧憬との間に、軽快奔放にしてしかも荘重高雅な力の諧調を示している。丹と白との清らかな対照は重々しい屋根の色の下で、その「力の諧調」にからみつく。その間にはなお斗拱や勾欄の細やかな力の・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・これを投げ捨てれば俺の生は自由に軽快になるだろう。そこに真の生活があるのだ。」こういう自己是認ができるとともに、石が地に落ちる。彼は苦患を脱する。 こうしてある種の人々は生から逃げ出して行く。そして漸次に息をしながら死んで行く。何ものも・・・ 和辻哲郎 「ベエトォフェンの面」
出典:青空文庫