・・・この知人と云うのも、その日暮しの貧乏人なのでございますが、絹の一疋もやったからでございましょう、湯を沸かすやら、粥を煮るやら、いろいろ経営してくれたそうでございます。そこで、娘も漸く、ほっと一息つく事が出来ました。」「私も、やっと安心し・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・今度は突然祭壇のあたりに、けたたましい鶏鳴が聞えたのだった。オルガンティノは不審そうに、彼の周囲を眺めまわした。すると彼の真後には、白々と尾を垂れた鶏が一羽、祭壇の上に胸を張ったまま、もう一度、夜でも明けたように鬨をつくっているではないか?・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・壁訴訟じみたことをあばいてかかって聞き取らねばならないほど農場というものの経営は入り組んでいるのだろうか。監督が父の代から居ついていて、着実で正直なばかりでなく、自分を一人の平凡人であると見切りをつけて、満足して農場の仕事だけを守っているの・・・ 有島武郎 「親子」
・・・(一九一七、六、一三、鶏鳴を聞きつつ擱筆 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ておくつもりであり、また私たち兄弟の中に、不幸に遭遇して身動きのできなくなったものができたら、この農場にころがり込むことによって、とにかく餓死だけは免れることができようとの、親の慈悲心から、この農場の経営を決心したらしく見えます。親心として・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・けれども家業柄――家業は、土地の東の廓で――近頃は酒場か、カフェーの経営だと、話すのに幅が利くが、困った事にはお茶屋、いわゆるおん待合だから、ちと申憎い、が、仕方がない。それだけにまた娘の、世馴れて、人見知りをしない様子は、以下の挙動で追々・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格で、村山の秘書というような関係であったらしく、『国会新聞』の機微に通じていて、編輯部内の内情やら村山の人物、新聞の経営方針などを来る度毎に精しく話して聞かせた。こっちから訊きもしないのに何故こんな内・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 博文館の雑誌経営が成功して、雑誌も亦ビジネスとして立派に存立し得る事が証拠立てられてから、有らゆる出版業者は皆奮って雑誌を発行した。文人が活動し得る舞台が著るしく多くなった。文人は最早非常なる精力を捧ぐる著述に頼らなくても習作的原稿、・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・戦勝国の戦後の経営はどんなつまらない政治家にもできます、国威宣揚にともなう事業の発展はどんなつまらない実業家にもできます、難いのは戦敗国の戦後の経営であります、国運衰退のときにおける事業の発展であります。戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ いまこゝでは、資本家等の経営する職業雑誌が、大衆向きというスローガンを掲げることの誤謬であり、また、この時代に追従しなければならぬ作家等が、資本家の意志を迎えて、いつしか真の芸術を忘れるに至ったことを指摘しようと思います。 先ず、・・・ 小川未明 「作家としての問題」
出典:青空文庫