・・・……じゃ早田君、君のことは十分申し上げておいたから、これからこちらの人になって一つ堅固にやってあげてくださいまし。……私はこれで失礼いたします」 とはきはき言って退けた。彼にはこれは実に意外の言葉だった。父は黙ってまじまじと癇癪玉を一時・・・ 有島武郎 「親子」
・・・終わりに臨んで諸君の将来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現代の悪制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、諸君の精神と生活とが、自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果になるようにと祈ります。・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・とうとう一かたまりのわかい者がなわとはしごを持って来てなわを王子の頸にかけるとみんなで寄ってたかってえいえい引っぱったものですから、さしもに堅固な王子の立像も無惨な事には礎をはなれてころび落ちてしまいました。 ほんとうにかわいそうな御最・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・「そんなに堅固な、身のほどの知らない、鉄というものが、この宇宙に存在するのか? 俺は、そのことをすこしも知らなかった。」と、盲目の星はいいました。 鉄という、堅固なものが存在して、自分に反抗するように考えたからです。 このとき、・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・そしてその時の私の心持を言いますと、決して長屋の者が信じていたほどの堅固なものでなかったので、木や石でない限り、やはり妙な心持がしたのでございます。 私がある時藤吉に向い、『どうもお俊さんは意気だ、まるで素人じゃアないようだ』と申します・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・また花山法皇は御年十八歳のとき最愛の女御弘徽殿の死にあわれ、青春失恋の深き傷みより翌年出家せられ、花山寺にて終生堅固な仏教求道者として過ごさせられた。実に西国巡礼の最初の御方である。また最近の支那事変で某陸軍大尉の夫人が戦死した夫の跡を追い・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 政元は堅固に厳粛に月日を過した。二十歳、三十歳、四十近くなった。舟岡記にその有様を記してある。曰く、「京管領細川右京太夫政元は四十歳の比まで女人禁制にて、魔法飯綱の法愛宕の法を行ひ、さながら出家の如く、山伏の如し、或時は経を読み、陀羅・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・筋かい方杖等いろいろの施工によって家を堅固な上にも堅固にする。こうして家が丈夫になると大地震でこわれる代わりに家全体が土台の上で横すべりをする。それをさせないとやはり柱が折れたりする恐れがあるらしい。それで自分の素人考えでは、いっその事、ど・・・ 寺田寅彦 「鎖骨」
・・・狭く科学と限らず一般文化史上にひときわ目立って見える堅固な石造の一里塚である。 五 相対性原理に対する反対論というものが往々に見受けられる。しかし私の知り得た限りの範囲では、この原理の存在を危うくするほどに有力な・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・もしも丸の内の他の建物もだんだんに地底の第三紀層の堅固な基礎の上に樹立される日が来れば、自然に建物と建物の各層相互の交通のために地下道路が縦横に貫通するようになるかもしれない。そうなれば丸の内の地図はもはや一枚では足りなくなって地下各層の交・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
出典:青空文庫