・・・ 彼の無言でいるのを見た伝右衛門は、大方それを彼らしい謙譲な心もちの結果とでも、推測したのであろう。愈彼の人柄に敬服した。その敬服さ加減を披瀝するために、この朴直な肥後侍は、無理に話頭を一転すると、たちまち内蔵助の忠義に対する、盛な歎賞・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・次手を以て甲斐の国にいる蛇笏君に献上したい。僕は又この頃思い出したように時時句作を試みている。が、一度句作に遠ざかった祟りには忽ち苦吟に陥ってしまう。どうも蛇笏君などから鞭撻を感じた往年の感激は返らないらしい。所詮下手は下手なりに句作そのも・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・――あなたは気のふさぐのが病だって云うから、これを一つ献上します。産前、産後、婦人病一切によろしい。――これは僕の友だちに聞いた能書きだがね、そいつがやり始めた缶詰だよ。」 田宮は唇を嘗めまわしては、彼等二人を見比べていた。「食える・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ 四月三十日の未の刻、彼等の軍勢を打ち破った浅野但馬守長晟は大御所徳川家康に戦いの勝利を報じた上、直之の首を献上した。(家康は四月十七日以来、二条の城にとどまっていた。それは将軍秀忠の江戸から上洛するのを待った後この使に立ったのは長晟の・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・ 当時のわたしはこの逸事の中に謙譲の美徳を発見した。少くとも発見する為に努力したことは事実である。しかし今は不幸にも寸毫の教訓さえ発見出来ない。この逸事の今のわたしにも多少の興味を与えるは僅かに下のように考えるからである。―― 一 ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・第一が千里飛べる長靴、第二が鉄さえ切れる剣、第三が姿の隠れるマントル、――それを皆献上すると云うものだから、欲の深いこの国の王様は、王女をやるとおっしゃったのだそうだ。第二の農夫 御可哀そうなのは王女御一人だな。第一の農夫 誰か王女・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・ちょいと内証で、人に知らせないように遣る、この早業は、しかしながら、礼拝と、愛撫と、謙譲と、しかも自恃をかね、色を沈静にし、目を清澄にして、胸に、一種深き人格を秘したる、珠玉を偲ばせる表顕であった。 こういううちにも、舞台――舞台は二階・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ が、また娘分に仕立てられても、奉公人の謙譲があって、出過ぎた酒場の給仕とは心得が違うし、おなじ勤めでも、芸者より一歩退って可憐しい。「はい、お酌……」「感謝します、本懐であります。」 景物なしの地位ぐらいに、句が抜けたほど・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 甲板の上は一時頗る喧擾を極めたりき。乗客は各々生命を気遣いしなり。されども渠等は未だ風も荒まず、波も暴れざる当座に慰められて、坐臥行住思い思いに、雲を観るもあり、水を眺むるもあり、遐を望むもありて、その心には各々無限の憂を懐きつつ、て・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・ 深張の涼傘の影ながら、なお面影は透き、色香は仄めく……心地すれば、誰憚るともなく自然から俯目に俯向く。謙譲の褄はずれは、倨傲の襟より品を備えて、尋常な姿容は調って、焼地に焦りつく影も、水で描いたように涼しくも清爽であった。 わずか・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
出典:青空文庫