・・・第一劇場からして違うよ』『一里四方もあるのか?』『莫迦な事を言え。先ず青空を十里四方位の大さに截って、それを圧搾して石にするんだ。石よりも堅くて青くて透徹るよ』『それが何だい?』『それを積み重ねて、高い、高い、無際限に高い壁・・・ 石川啄木 「火星の芝居」
・・・ 忘れもしない、限界のその突当りが、昨夜まで、我あればこそ、電燭のさながら水晶宮のごとく輝いた劇場であった。 ああ、一翳の雲もないのに、緑紫紅の旗の影が、ぱっと空を蔽うまで、花やかに目に飜った、と見ると颯と近づいて、眉に近い樹々の枝・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・僕一個では、また、ある友人の劇場に関係があるのに手紙を出し、こうこういう女があって、こうこうだと、その欠点と長所とを誇張しないつもりで一考を求め、遊びがてら見に来てくれろと言っておいたら、ついでがあったからと言って出て来てくれた。吉弥を一夕・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・などという紋切型が、あるいは喋られあるいは書かれて、われわれをうんざりさせ、辟易させ、苦笑させる機会が多くて、私にそのたびに人生の退屈さを感じて、劇場へ行ったり小説を読んだり放送を聴いたりすることに恐怖を感じ、こんな紋切型に喜んでいるのが私・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・レヴュの放送を聴いて、大阪劇場の裏で殺されていた娘のことを思いだしたためだろうか、一つには「波屋」へ行って、新しく出た雑誌の創刊号が買いたかったのだ。 難波へ出るには、岸ノ里で高野線を本線に乗りかえるのだが、乗りかえが面倒なので、汐見橋・・・ 織田作之助 「神経」
・・・机の上の用紙には、(千日前の大阪劇場の楽屋の裏の溝 と、書出しの九行が書かれているだけで、あと続けられずに放ってあるのは、その文章に「の」という助辞の多すぎるのが気になっているだけではなかった。その事件を中心に昭和十年頃の千日前の風・・・ 織田作之助 「世相」
・・・昨夜の激情が、祟ったのだ。 雨が降っていた。私はまず、この雨の中を憤然としてトランクを提げて東京駅から発って行ったであろう笹川の姿を、想像した。そして「やっぱし彼はえらい男だ!」と、思わずにはいられなかったのだ。 私は平生から用意し・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ 田園、平野、市街、市場、劇場。船着場や海。そう言った広大な、人や車馬や船や生物でちりばめられた光景が、どうかしてこの暗黒のなかへ現われてくれるといい。そしてそれが今にも見えて来そうだった。耳にもその騒音が伝わって来るように思えた。・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 主人の憤怒はやや薄らいだらしいが、激情が退くと同時に冷透の批評の湧く余地が生じたか、「そちが身を捨てましても、と云って、ホホホ、何とするつもりかえ。」と云って冷笑すると、女は激して、「イエ、ほんとに身を捨てましても」と・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・暮れの築地小劇場で「子供の日」のあったおりに、たしか「そら豆の煮えるまで」に出て来る役者から見て来たらしい身ぶり、手まねが始まった。次郎はしきりに調子に乗って、手を左右に振りながら茶の間を踊って歩いた。「オイ、とうさんが見てるよ。」・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫