・・・王子は激情の果、いまはもう、すべての表情を失い、化石のように、ぼんやり立ったままでした。 眼前に、魔法の祭壇が築かれます。老婆は風のように素早く病室から出たかと思うと、何かをひっさげてまた現れ、現れるかと思うと消えて、さまざまの品が病室・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・それが最近に不思議な因縁からある日の東京劇場におけるその演技を臍の緒切って始めて見物するような回り合わせになった。それで、この場合における自分と、前記の亀さんや試写会の子供とちがうのはただ四十余年の年齢の相違だけである。従ってこの年取った子・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・前にヤニングス主演の「激情のあらし」でやはり花火をあしらったのがあった。あの時は嫉妬に燃える奮闘の場面に交錯して花火が狂奔したのでずいぶんうまく調和していたが、今度のではそういう効果はなかったようである。しかし気持ちの転換には相当役に立って・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ たとえば劇場のシーンの中で、舞台の幕があくと街頭の光景が現われる、その町の家並みを舞台のセットかと思っているとそれがほんとうの町になっている。こういう趣向は別に新しくもなくまたなんでもないことのようであるが、しかしやはり映画のスクリー・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 幻燈というものが始めて高知のある劇場で公開されたのはたぶん自分らの小学時代であったかと思う。箸と手ぬぐいの人形の影法師から幻燈映画へはあまりに大きな飛躍であった。見て来た人の説明を聞いても、自分の目で見るまでは、色彩のある絵画を映し出・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 実際また彼女の若い時分、身分のいい、士たちが、禄を金にかえてもらった時分には、黄金の洪水がこの廓にも流れこんで、その近くにある山のうえに、すばらしい劇場が立ったり、麓にお茶屋ができたりして、絃歌の声が絶えなかった。道太は少年のころ、町・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・有楽座帝国劇場歌舞伎座などを見物した帰りには必ず銀座のビイヤホオルに休んで最終の電車のなくなるのも構わず同じ見物帰りの友達と端しもなく劇評を戦わすのであった。上野の音楽学校に開かれる演奏会の切符を売る西洋の楽器店は、二軒とも人の知っている通・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ わたくしが栄子と心易くなったのは、昭和十三年の夏、作曲家S氏と共に、この劇場の演芸にたずさわった時からであった。初日の幕のあこうとする刻限、楽屋に行くと、その日は三社権現御祭礼の当日だったそうで、栄子はわたくしが二階の踊子部屋へ入るの・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・また、古びた徐園の廻廊に懸けられた聯句の書体。薄暗いその中庭に咲いている秋花のさびしさ。また劇場や茶館の連った四馬路の賑い。それらを見るに及んで、異国の色彩に対する感激はますます烈しくなった。 大正二年革命の起ってより、支那人は清朝二百・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・全能の神が造れる無辺大の劇場、眼に入る無限、手に触るる無限、これもまた我が眉目を掠めて去らん。しかして余はついにそを見るを得ざらん。わが力を致せるや虚ならず、知らんと欲するや切なり。しかもわが知識はただかくのごとく微なり」と叫んだのもこの庭・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫