・・・概して文化の程度が低く、原始民族のタブーと迷信に包まれているこの地方には、実際色々な伝説や口碑があり、今でもなお多数の人々は、真面目に信じているのである、現に私の宿の女中や、近所の村から湯治に来ている人たちは、一種の恐怖と嫌悪の感情とで、私・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・たとえば、人間の一人々々が、誰にも云わず、書かずに、どの位多くの秘密な奇怪な出来事を、胸に抱いたまま、或は忘れたまま、今までにどの位死んだことだろう。現に私だって今ここに書こうとすることよりも百倍も不思議な、あり得べからざる「事」に数多く出・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・て愚鈍なる主人も之に依頼し、所謂内助の力を以て戸外の体面を全うするものあるのみならず、夫死すれば其妻は則ち賢母にして、子を養育し子を教訓し、一切万事母一人の手を以て家を保つの事実は古今世に珍しからず。現に今日世上に名ある有為の紳士賢婦人など・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・一、官には黜陟・与奪の権あるゆえ、学校の法を厳にし、賞罰を明らかにすべし。その得、二なり。一、官の学校は自から仕官の途に近し。ゆえに青雲の志ある者は、ことに勉強することあり。その得、三なり。一、官の学校には、教師の外に俗吏の員、・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・然らばすなわち、今の日本政府を日本国民一種族の集合体として、この集合体ははたして徳義の叢淵にして、ことに百徳の根本たる家の私徳を重んじ、身の内行を厳にして、つねに衆庶の景慕するところなるやというに、諭吉、またこれを信ずるを得ず。 あるい・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・即ちその風波の生ぜざるは、ただ家法の厳にして主公の威張るがためにして、これを形容していえば、圧制政府の下に騒乱なきものに異ならず。ただ表に破裂せざるのみ。その内実は風波の動揺を互いの胸中に含むものというべし。されば、男尊女卑、主公圧制、家人・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・それが必然であるのみならず、その違って居る処が今日のわれわれから見ても面白いと思うのである。現にこの頃の『ホトトギス』で遣って居るように三、四人の選者で同じ句を選んで見たところで、決して同じ句を選ぶものはない。そのような事を度々繰りかえして・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・飼えるともさ。現におれをはじめたくさんのものが、それでくらしを立てているんだ。」 ブドリはかすれた声で、やっと、「そうですか。」と言いました。「それにこの森は、すっかりおれが買ってあるんだから、ここで手伝うならいいが、そうでもな・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 形は小さいが、活々したモーメントを批判し、到るところで、いろんな形で、敵の攻撃と自己批判をやってゆく、独特な文化的武器となるに違いないのである。 現に移動劇場の仕事は、よくこの諷刺文学の、小粒な活力を利用してわれわれに見せている。・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・秀麿と大した点数の懸隔もなくて、優等生として銀時計を頂戴した同科の新学士は、文部省から派遣せられる筈だのに、現にヨオロッパにいる一人が帰らなくては、経費が出ないので、それを待っているうちに、秀麿の方は当主の五条子爵が先へ立たせてしまった。子・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫