・・・帽子の下に天子印の、四五間さきの空気をくんくんさせる高価な化粧品をしのばせていた。そして、彼らが市街のいずれかへ消えて行って、今夜ひっかえしてくる時には、靴下や化粧品のかわりに、ルーブル紙幣を、衣服の下にかくしている。そんな奴があった。・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・そして、銅は高価の絶頂にあった。彼等は、祖父の時代と同様に、黙々として居残り仕事をつゞけていた。 大正×年九月、A鉱山では、四千名の坑夫が罷業を決行した。女房たちは群をなして、遠く、東京のT男爵邸前に押しよせた。K鉱山でもJ鉱山でも、卑・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・「そりゃそういえば確にそうだが、忍術だって入用のものだから世に伊賀流も甲賀流もある。世間には忍術使いの美術家もなかなか多いよ。ハハハ。」「御前製作ということでさえ無ければ、少しも屈托は有りませんがナア。同じ火の芸術の人で陶工の愚斎は・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・古来の死刑は、はたして刑罰の目的を達することにおいて、よくその効果を奏したか、ということは、学者のひさしくうたがうところで、これまた、未決の一大問題として存している。けれども、わたくしは、ここで死刑の存廃を論ずるのではない。今のわたくし一個・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 謂うに人に死刑に値いする程の犯罪ありや、死刑は果して刑罰として当を得たる者なりや、古来の死刑は果して刑罰の目的を達するに於て、能く其効果を奏せりやとは、学者の久しく疑う所で、是れ亦た未決の一大問題として存して居る、而も私は茲に死刑の存・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・こんな風にして、皆親しく往来するようになったのだが、兎に角文学界というものを起そうとしたのは、星野君兄弟と、平田禿木君とで、殊に男三郎君は、大学へ行って工科でも択ぼうという位の綿密な、落ち着いた人だったから、殆んど自分では表立って何も発表し・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・絵なども、ただ高価ないい絵具を使っているというだけで、他に感服すべきところを発見できなかった。その兄が、その夏に、東京の同人雑誌なるものを、三十種類くらい持って来て、そうしてその頃はやりの、突如活字を大きくしたり、またわざと活字をさかさにし・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・それに今夜は、も少し高価なものを食いたかった。「すしは、困るな。」「でも、あたしは、たべたい。」かず枝に、わがままの美徳を教えたのは、とうの嘉七であった、忍従のすまし顔の不純を例証して威張って教えた。 みんなおれにはねかえって来・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・少年もそのころは、背丈もひょろひょろ伸びて五尺七寸ちかくになっていましたので、そのマントは、悪魔の翼のようで、頗る効果がありました。このマントを着るときには、帽子を被りませんでした。魔法使いに、白線ついた制帽は不似合いと思ったのかも知れませ・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ 同じ扉の音でも、まるっきり違った効果を出す場合がある。これも作者の名は、忘れた。イギリスのブルウストッキングであるということだけは、間違いないようだ。ランタアンという短篇小説である。たいへん難渋の文章で、私は、おしまいまで読めなかった・・・ 太宰治 「音に就いて」
出典:青空文庫