・・・僕はこのブランコ台を眺め、忽ち絞首台を思い出した。実際又ブランコ台の上には鴉が二三羽とまっていた、鴉は皆僕を見ても、飛び立つ気色さえ示さなかった。のみならずまん中にとまっていた鴉は大きい嘴を空へ挙げながら、確かに四たび声を出した。 僕は・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ぞ 黒闇々中刀に声あり 圏套姦婦の計を逃れ難し 拘囚未だ侠夫の名を損ぜず 対牛楼上無状を嗟す 司馬浜前に不平を洩らす 豈翔だ路傍狗鼠を誅するのみならん 他年東海長鯨を掣す 船虫閉花羞月好手姿 巧計人を賺いて人知らず 張婦李妻・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 二十四日の晩であった、母から手紙が来て、明二十五日の午後まかり出るから金五円至急に調達せよと申込んで来た時、自分は思わず吐息をついて長火鉢の前に坐ったまま拱手をして首を垂れた。「どうなさいました?」と病身な妻は驚いて問うた。「・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ かくてその歳も暮れ、二十八年の春になって、彼は首尾よく工手学校の夜学部に入学しえたのである。 かつ問いかつ聞いているうちに夕暮近くなった。「飯を食いに行こう!」と桂は突然いって、机の抽斗から手早く蟇口を取りだして懐へ入れた。・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・「私は甲種なのね。」Kは、びっくりする程、大きい声で、笑い出した。「私は、山を見ていたのじゃなくってよ。ほら、この、眼のまえの雨だれの形を見ていたの。みんな、それぞれ個性があるのよ。もったいぶって、ぽたんと落ちるのもあるし、せっかちに、・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・作家としての、悪い宿業が、多少でも、美しいものを見せられた時、それをそのまま拱手観賞していることが出来ず、つい腕を伸ばして、べたべた野蛮の油手をしるしてしまうのである。作家としての、因果な愛情の表現として、ゆるしてもらいたいのである。美しけ・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・に「戦士の亡骸が運び込まれたのを見ても彼女は気絶もせず泣きもしなかったので、侍女たちは、これでは公主の命が危ういと言った、その時九十歳の老乳母が戦士の子を連れて来てそっと彼女のひざに抱きのせた、すると、夏の夕立のように涙が降って来た」という・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ いったい黒焼きがほんとうに病気にきくだろうかという疑問が科学の学徒の間で問題に上ることがある。そういう場合に、科学者にいろいろの種類があることがよくわかる。 甲種の科学者は頭から黒焼きなんかきくものかと否定してかかる。蛇でもいもり・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そうして河向いの高い塀の曲り角のところの内側に塔のような絞首台の建物の屋根が少し見えて、その上には巨杉に蔽われた城山の真暗なシルエットが銀砂を散らした星空に高く聳えていたのである。 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・「絞首台上のユーモア」にはどこかに俳諧のにおいがないと言われない。 風雅の精神の萌芽のようなものは記紀の歌にも本文の中にも至るところに発露しているように思われる。ただその時代にはそれがまだ寂滅の思想にしみない積極的な姿で現われている。し・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫