・・・この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推すと堺と云う所はけっして吝な所ではない、偉い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・一間の距離とか、二間の距離とかあるいは十間二十間――この講堂の大きさはどのくらいありますか――とにかく幾坪かの広がりがあって、その中に私が立っており、その中にあなた方が坐っていることになる。この広がりを空間と申します。つまりはスペースと云う・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・この鉄道は誰が敷設したという事は素人にはあまり参考になりません。この講堂は誰が作ったって問題にならない。あすこにぶらさがってるランプだか、電気だか何だか知らないが、これには何の personality もない。即ち自然の法則を apply ・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・ところがその発会式が広い講堂で行なわれた時に、何かの機でしたろう、一人の会員が壇上に立って演説めいた事をやりました。ところが会員ではあったけれども私の意見には大分反対のところもあったので、私はその前ずいぶんその会の主意を攻撃していたように記・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・歴史的実践的自己にあるのである。歴史的行動というものの外に、実践というものがあるのではない。我々が思惟するということも、歴史的行動であるのである。作られて作る所に、我々は自覚するのである。故に我々の自己は歴史的身体的である。然らざれば、それ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・塵の積んである二坪ばかりの空地から、三本の坑道のような路地が走っていた。 一本は真正面に、今一本は真左へ、どちらも表通りと裏通りとの関係の、裏路の役目を勤めているのであったが、今一つの道は、真右へ五間ばかり走って、それから四十五度の角度・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・また、行動がすこぶる鈍重だから、一度見つけると、たいていは釣れる。ほとんど技術も入らない。しかし、釣りあげられても悠々たるもので、すこしもあばれない。鯉はマナイタの上にのせられると動かなくなるといわれているが、それは覚悟を定めての上で、ドン・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・もに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめて厚く、塾舎・講堂、残るところなく見るを得たり。よって・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
去年の春、我が慶応義塾を開きしに、有志の輩、四方より集り、数月を出でずして、塾舎百余人の定員すでに満ちて、今年初夏のころよりは、通いに来学せんとする人までも、講堂の狭きゆえをもって断りおれり。よってこのたびはまた、社中申合・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・ すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといえども、開闢以来今日に至るまで世界中の事相を観るに、各種の人民相分れて一群を成し、その一群中に言語文字を共にし、歴史口碑を共にし、婚姻相通じ、交際相親しみ、飲食衣服の物、す・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫