・・・もしこれから何か御用がおありなさるなら、その男をお使い下さるようにお願い申します。確かな男でございます。」 おれの考えは少々違っていた。果せるかな、使は包みを一つ取り出して、それをおれに渡すのである。 門番はこう云った。「勲章でござ・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・領事館御用の洗濯屋さんだからかと思ったが、電車通りを歩いていると、露文字の看板は外にも二つ見付かった。昔長崎を見物した時に見た露文の看板の記憶が甦って来るのを感じた。 とある町角で妙な現象を見た。それは質屋で質流れの衣類の競売をしている・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・以後には橋口五葉氏や大塚楠緒子女史などとも絵はがきの交換があったようである。象牙のブックナイフはその後先端が少し欠けたのを、自分が小刀で削って形を直してあげたこともあった。時代をつけると言ってしょっちゅう頬や鼻へこすりつけるので脂が滲透して・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 二、三ヶ月程たって後息子の顔が店に見えぬようになって、店の塵を払う亭主は前よりも忙がしげに見えたが、それでもいつも同じような柔和な顔つきで、この男のみは裏木戸に落つる梧葉の秋も知らぬようであった。 やもりはもう見えぬようになった。・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・「こんちはァ、こんにゃく屋ですが、御用はありませんか」 一二度買ってくれた家はおぼえておいて、台所へいってたずねたりする。 しかし売れないときは、いつまで経っても荷が減らない。もう夕方だから早く廻らないと、どこの家でも夕飯の仕度・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・「先生、何の御用で御座います。」「怪しからん、庭に狐が居る、乃公が弓を引いた響に、崖の熊笹の中から驚いて飛出した。あの辺に穴があるに違いない。」 田崎と抱車夫の喜助と父との三人。崖を下りて生茂った熊笹の間を捜したが、早くも出勤の・・・ 永井荷風 「狐」
・・・「何か急な御用なんですか」と御母さんは詰め寄せる。別段の名案も浮ばないからまた「ええ」と答えて置いて、「露子さん露子さん」と風呂場の方を向いて大きな声で怒鳴って見た。「あら、どなたかと思ったら、御早いのねえ――どうなすったの、――何・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・橋口五葉氏は表紙其他の模様を意匠してくれた。両君の御蔭に因って文章以外に一種の趣味を添え得たるは余の深く徳とする所である。 自分が今迄「吾輩は猫である」を草しつつあった際、一面識もない人が時々書信又は絵端書抔をわざわざ寄せて意外の褒辞を・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』上篇自序」
・・・ もとよりこれがために栄誉を博したるにあらず、人情一般、西洋の事物を穢なく思う世の中に、この穢なき事を吟味するは洋学者に限るとして利用せられたるその趣は、皮細工に限りてえたに御用をこうむりたるの情に異ならざりしといえども、えたにても非人・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・あなたはあんまり御用がおありになって、あんまり人に崇拝せられていらっしゃるのですもの。あなたが次第に名高くおなりになるのを、わたくしは蔭ながら胸に動悸をさせて、正直に心から嬉しく存じて傍看いたしていました。それにひっきりなしに評判の作をお出・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫