・・・「……さあ、実は何です、それについて少しお話したいこともあるもんですから、一寸まあおあがり下さい」 彼は起って行って、頼むように云った。「別にお話を聴く必要も無いが……」と三百はプンとした顔して呟きながら、渋々に入って来た。四十・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・彼は相手に自分の意見を促されてしばらく考えていたが、「さあ……僕にはむしろ反対の気持になった経験しか憶い出せない。しかしあなたの気持は僕にはわからなくはありません。反対の気持になった経験というのは、窓のなかにいる人間を見ていてその人達が・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・綱雄さあ行こうではないか。と善平は振り向きぬ。綱雄は冷々として、はい、参りましょう。 心々に四人は歩み出しぬ。私は先へ行ってお土産を、と手折りたる野の花を投げ捨てて、光代は子供らしく駈け出しぬ。裾はほらほら、雪は紅を追えり。お帰り遊ばせ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・』『どうせ徹夜でさあ。』 秋山は一向平気である。杯を見つめて、『しかし君が眠けりゃあ寝てもいい。』『眠くはちっともない、君が疲れているだろうと思ってさ。僕は今日晩く川崎を立って三里半ばかしの道を歩いただけだから何ともないけれ・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・「うまくやる奴もあるもんだね。よくこんなに細かいところまで似せられたもんだ。」「すかしが一寸、はっきりしていないだろう。」貯金掛の字のうまい局員が云った。「さあ。」「それは紙の出どころが違うんだ。札の紙は、王子製紙でこしらえ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・叔母の肩をば揉んでいる中、夜も大分に更けて来たので、源三がつい浮りとして居睡ると、さあ恐ろしい煙管の打擲を受けさせられた。そこでまた思い切ってその翌朝、今度は団飯もたくさんに用意する、銭も少しばかりずつ何ぞの折々に叔父に貰ったのを溜めておい・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・「よオし、初めるぞ。さあ皆んな見てろ、どんなことになるか!」 親分は浴衣の裾をまくり上げると源吉を蹴った。「立て!」 逃亡者はヨロヨロに立ち上った。「立てるか、ウム?」そう言って、いきなり横ッ面を拳固でなぐりつけた。逃亡者は・・・ 小林多喜二 「人を殺す犬」
・・・末ちゃんを打つなら、さあとうさんを打て。」 と、私は箪笥の前に立って、ややもすれば妹をめがけて打ちかかろうとする次郎をさえぎった。私は身をもって末子をかばうようにした。「とうさんが見ていないとすぐこれだ。」と、また私は次郎に言った。・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「さあ、今のは笑談だと、つい一言いってくれ」とでも云いたそうな様子である。しかし青年の顔はやはり心配げな、嘆願するような表情を改めない。その目からは、老人の手の上に涙がほろりと落ちて来た。老人は始めて青年の心が分かって自分も目が覚めた。老人・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 芝生にいる、 その四ひきもお出でなさい。 それから灰色のお前も、 王さまのところから来た、 白い牝牛も、 その小さい黒い小牛も、早くお出で。 さあさあみんなでかえりましょう。」 こう言ってよびますと、そ・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
出典:青空文庫