・・・いや、母が兄をつれて再縁したと云う事さえ、彼が知るようになったのは、割合に新しい事だった。ただ父が違っていると云えば、彼にはかなりはっきりと、こんな思い出が残っている。―― それはまだ兄や彼が、小学校にいる時分だった。洋一はある日慎太郎・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・彼は父よりもこの母に、――このどこへか再縁した母に少年らしい情熱を感じていた。彼は確かある年の秋、僕の顔を見るが早いか、吃るように僕に話しかけた。「僕はこの頃僕の妹が縁づいた先を聞いて来たんだよ。今度の日曜にでも行って見ないか?」 ・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・げに、資本主義の波に蕩揺されつゝ工場から工場へ、時に、海を越えて、何処と住居を定めぬ人々にとっては、一坪の菜園すら持たないのである。けれど、彼等は、それを、真に不幸とは思わないだろうか? 人間は、到底、理知のみで生きることはできない。心・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・櫟林や麦畠や街道や菜園や、地形の変化に富んだその郊外は静かで清すがしかった。乳牛のいる牧場は信子の好きなものだった。どっしりした百姓家を彼は愛した。「あれに出喰わしたら、こう手綱を持っているだろう、それのこちら側へ避けないと危いよ」・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・左の方はひろい芝生つづきの庭が見え、右の方は茄子とか、胡瓜を植えた菜園に沿うて、小さい道がお勝手口へつづいている。もちろん私はお勝手口の方へその小さい菜園の茄子や胡瓜にこんにゃく桶をぶっつけぬように注意しながらいったのであるが、気がつくと、・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・夫婦同居して子なき婦人が偶然に再縁して子を産むことあり。多婬の男子が妾など幾人も召使いながら遂に一子なきの例あり。其等の事実も弁えずして、此女に子なしと断定するは、畢竟無学の臆測と言う可きのみ。子なきが故に離縁と言えば、家に壻養子して配偶の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・我輩の持論は其再縁を主張する者なれども、日本社会の風潮甚だ冷淡にして、学者間にも再縁論を論ずる者少なきのみか、寡居を以て恰も婦人の美徳と認め、貞婦二夫に見えずなど根拠もなき愚説を喋々して、却て再縁を妨ぐるの風あるこそ遺憾なれ。古人の言う二夫・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・すなわち余が如きは前年士族流の学問したる者なれども、今の後進生は決してかかる無謀の挙動を再演すべからず。封建の制度、すでに廃して、士族無経済の気風、なお学生の中に存するは、今日天下の通弊なり。これすなわち余が本塾の学生諸氏に向い、余が経歴に・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・場合に臨んでは兵禍は恐るるに足らず、天下後世国を立てて外に交わらんとする者は、努ゆめゆめ吾維新の挙動を学んで権道に就くべからず、俗にいう武士の風上にも置かれぬとはすなわち吾一身の事なり、後世子孫これを再演するなかれとの意を示して、断然政府の・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・それが自分のパリイに出たあとで再縁して、今ではマドレエヌ・ジネストと名告っている。スウルヂェエにしろ、ジネストにしろ、いずれも誰にも知られない平民的な苗字で目下自分の交際している貴夫人何々の名に比べてみれば、すこぶる殺風景である。しかしこの・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫