・・・ クララが知らない中に祭事は進んで、最後の儀式即ち参詣の処女に僧正手ずから月桂樹を渡して、救世主の入城を頌歌する場合になっていたのだ。そしてクララだけが祭壇に来なかったので僧正自らクララの所に花を持って来たのだった。クララが今夜出家する・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ と両手で控帳の端を取って、斜めに見せると、楷書で細字に認めたのが、輝くごとく、もそりと出した源助の顔に赫ッと照って見えたのは、朱で濃く、一面の文字である。「へい。」「な、何からはじまった事だか知らんが、ちょうど一週間前から、ふ・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ と細字に認めた行燈をくるりと廻す。綱が禁札、ト捧げた体で、芳原被りの若いもの。別に絣の羽織を着たのが、板本を抱えて彳む。「諸人に好かれる法、嫌われぬ法も一所ですな、愛嬌のお守という条目。無銭で米の買える法、火なくして暖まる法、飲ま・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・異なるを覚えしかども尚悟らず、こは眼鏡の曇りたる故ならめと謬り思ひて、俗に本玉とかいふ水晶製の眼鏡の価貴きをも厭はで此彼と多く購ひ求めて掛替々々凌ぐものから(中略、去歳庚子夏に至りては只朦々朧々として細字を書く事得ならねば其稿本を五行の大字・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・そしてその細罫二十五行ほどに、ぎっしりと、ガラスのペンか何かで、墨汁の細字がいっぱいに認められてある。そしてちょっと不思議に感じられたのは、その文面全体を通じて、注意事項の親族云々を聯想させるような字句が一つとして見当らないのだが、それがた・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・三月十四日 ペンで細字で考え考え書いてしまったのを懐にして表のポストに入れに出た。そして今書いた事を心でもう一遍繰り返しながら、これを読んだ時に黒田の苦い顔に浮ぶべき微笑を胸に描いた。・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・日本でも米粒の表面に和歌を書く人があるが、これに匹敵する程度の細字と思われる。聞くところによると、米粒へ文字を書くには、米粒を手のひらへのせて、毎日暇さえあればしみじみとながめている、するとその米粒がだんだんに大きく見えて来ておしまいには玉・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・ 先生のノートや原稿を見るときれいな細字で紙面のすみからすみまでぎっしり詰まっていて、「余白」というものがほとんどなかったようである。 しかし先生は、「むだ」や「余白」だらけのだらしのない弟子たちに対して、真の慈父のような寛容をもっ・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・時維昭和廿二年歳次丁亥臘月の某日である。 ○ 千葉街道の道端に茂っている八幡不知の藪の前をあるいて行くと、やがて道をよこぎる一条の細流に出会う。 両側の土手には草の中に野菊や露草がその時節には花をさかせてい・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・金を獲るには蟻が物を運ぶが如く、又点滴の雫が甃石に穴を穿つが如く根気よく細字を書くより外に道がない。 二の難事はいかに解決するだろう。解決のしかたによっては、僕は家を売り蔵書を市に鬻いで、路頭に彷徨する身となるかも知れない。僕は仏蘭西人・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫