・・・いつも髪を耳隠しに結った、色の白い、目の冴え冴えしたちょっと唇に癖のある、――まあ活動写真にすれば栗島澄子の役所なのです。夫の外交官も新時代の法学士ですから、新派悲劇じみたわからずやじゃありません。学生時代にはベエスボールの選手だった、その・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
去年の春の夜、――と云ってもまだ風の寒い、月の冴えた夜の九時ごろ、保吉は三人の友だちと、魚河岸の往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人の露柴、洋画家の風中、蒔画師の如丹、――三人とも本名は明さないが、その道では知られた腕・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・いつの間にか雲一ひらもなく澄みわたった空の高みに、細々とした新月が、置き忘れられた光のように冴えていた。一同は言葉少なになって急ぎ足に歩いた。基線道路と名づけられた場内の公道だったけれども畦道をやや広くしたくらいのもので、畑から抛り出された・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 或る冴えた晩秋の朝であった。霜の上には薄い牛乳のような色の靄が青白く澱んでいた。私は早起きして表戸の野に新聞紙を拾いに出ると、東にあった二個の太陽を見出した。私は顔も洗わずに天文学に委しい教授の処に駈けつけた。教授も始めて実物を見ると・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・ と寂しそうに打傾く、面に映って、頸をかけ、黒繻子の襟に障子の影、薄ら蒼く見えるまで、戸外は月の冴えたる気勢。カラカラと小刻に、女の通る下駄の音、屋敷町に響いたが、女中はまだ帰って来ない。「心細いのが通り越して、気が変になっていたん・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ 社の神木の梢を鎖した、黒雲の中に、怪しや、冴えたる女の声して、「お爺さん――お取次。……ぽう、ぽっぽ。」 木菟の女性である。「皆、東京の下町です。円髷は踊の師匠。若いのは、おなじ、師匠なかま、姉分のものの娘です。男は、円髷・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・神経が段々冴えて行くのであった。 その間に、僕のそばでぐッすり寝込んでいるらしい友人の身の上や、昔の寄宿舎生活などを思い浮べ 、友人の持っていた才能を延ばし得ないで、こんな田舎に埋れてしまう運命が気の毒になり、そのむくろには今どんな夢が・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・三味の音が浪の音に聴えたり、浪の音が三味の音に聴えたり、まるで夢うつつのうちに神経が冴えて来て、胸苦しくもあったし、また何物かがあたまの心をこづいているような工合であった。明け方になって、いつのまにか労れて眠ってしまったのだろう、目が醒めた・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 満月ではなかったが、一点の曇りもない冴えた月夜で、丘の上から遠く望むと、見渡す果もなく一面に銀泥を刷いたように白い光で包まれた得もいわれない絶景であった。丁度秋の中頃の寒くも暑くもない快い晩で、余り景色が好いので二人は我知らず暫らく佇・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・笛の音が冴えて、太鼓の音が聞えた。此方の三階から、遠く、溪の川原を越えて彼方の峠の上の村へと歩いて行く御輿の一列が見られた。――赤い日傘――白い旗――黒い人の一列――山間の村でこういう景色を見ることは、さながら印象主義の画を見るような、明る・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
出典:青空文庫