・・・が実ってやがてそのさくが開裂した純白な綿の団塊を吐く、うすら寒い秋の暮れに祖母や母といっしょに手んでに味噌こしをさげて棉畑へ行って、その収穫の楽しさを楽しんだ。少しもう薄暗くなった夕方でも、このまっ白な綿の団塊だけがくっきり畑の上に浮き上が・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・子供の時分に少しばかり植物の採集のまね事をして、さくようのようなものを数十葉こしらえてみたりしたことはあったが、その後は特別に山野の植物界に立ち入った観察の目を向けるような機会もなくて年を経て来た。最近にある友人の趣味に少しかぶれて植物界へ・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・でなければならないという結論に達した、その推理の径路を一冊の論文に綴って、それにこの植物のさくようまで添えたものを送ってよこされた人があって、すっかり恐縮してしまったことがあった。こうなると迂闊に小品文や随筆など書くのはつつしまなければなら・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・たとえばフロイドが「植物に関する彼の著書が彼の前に置かれてあり、そのぺージをめくっていると一枚の彩色絵がさし込んであり、また一枚のさくようがとじ込んである」という夢を分析した結果によると、この「植物学の著書」というだけの一見きわめて簡単なる・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 今年の春、田家にさく梅花を探りに歩いていた時である。わたくしは古木と古碑との様子の何やらいわれがあるらしく、尋常の一里塚ではないような気がしたので、立寄って見ると、正面に「葛羅之井。」側面に「文化九年壬申三月建、本郷村中世話人惣四郎」・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲らしたところもあるが、大方は生垣や竹垣を結んだ家が多いので、道行く人の目にも庭や畠に咲く花が一目に見わたされる。そして垣の根方や道のほとりには小笹や雑草が繁り放題に繁っていて、その中には・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 或年花の咲く頃であったろう。わたくしは爺さんが何処から持って来たものか、そぎ竹を丹念に細く削って鳥籠をつくっているのを見たことがあった。よく見る町の理髪師が水鉢に金魚を飼ったり、提燈屋が箱庭をつくって店先へ飾ったりするような趣味を、こ・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・桜さく三味線の国は同じ専制国でありながら支那や土耳古のように金と力がない故万代不易の宏大なる建築も出来ず、荒凉たる沙漠や原野がないために、孔子、釈迦、基督などの考え出したような宗教も哲学もなく、また同じ暖い海はありながらどういう訳か希臘のよ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・稽古唄の文句によって、親の許さぬ色恋は悪い事であると知っていたので、初恋の若旦那とは生木を割く辛い目を見せられても、ただその当座泣いて暮して、そして自暴酒を飲む事を覚えた位のもの、別に天も怨まず人をも怨まず、やがて周囲から強られるがままに、・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・桜のさく或日の午後小石川の家から父と母とに連れられてここまで来るには車の上ながらも非常に遠かった。東京の中ではないような気がした。綺麗な金ピカなお堂がいくつもあって、その階の前で自分は浅草の観音さまのように鳩の群に餌を撒いてやったが何故この・・・ 永井荷風 「霊廟」
出典:青空文庫