・・・まだ胸は支えているが、兎に角お前を歓迎する。しかし何の用があって此処へ来たのだ。死。ふむ。わしの来るのには何日でも一つしか用事はないわ。主人。まだそれまでには間があるはずだ。一枚の木の葉でも、枝を離れて落ちるまでには、たっぷり木の汁・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ アラムハラドは長い白い着物を着て学者のしるしの垂れ布のついた帽子をかぶり低い椅子に腰掛け右手には長い鞭をもち左手には本を支えながらゆっくりと教えて行くのでした。 そして空気のしめりの丁度いい日またむずかしい諳誦でひどくつかれた次の・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・その心の力がなくて、どこに愛が支えをもつでしょうか。 愛とか幸福とか、いつも人間がこの社会矛盾の間で生きながら渇望している感覚によって、私たちがわれとわが身をだましてゆくことを、はっきり拒絶したいと思います。愛が聖らかであるなら、それは・・・ 宮本百合子 「愛」
・・・ 木村は右の肱を卓に衝いて、頭を支えて、やや退屈らしい様子をして話している。「スチルネルは哲学史上に大影響を与えている人で、無政府主義者と云われている人達と一しょにせられては可哀相だ。あれは本名を Johann Kaspar Sch・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・訝りながら床をはなれて忍藻の母は身繕いし、手早く口を漱いて顔をあらい、黄楊の小櫛でしばらく髪をくしけずり、それから部屋の隅にかかッている竹筒の中から生蝋を取り出して火に焙り、しきりにそれを髪の毛に塗りながら。「忍藻いざ早う来よ。蝋鎔けた・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・こうして森厳な伝統の娘、ハプスブルグのルイザを妻としたコルシカ島の平民ナポレオンは、一度ヨーロッパ最高の君主となって納まると、今まで彼の幸福を支えて来た彼自身の恵まれた英気は、俄然として虚栄心に変って来た。このときから、彼のさしもの天賦の幸・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・東北なまりで、礼をのべる小柄な栖方の兄の頭の上の竹筒から、葛の花が垂れていた。句会に興味のなさそうなその兄は、間もなく、汽車の時間が切れるからと挨拶をして、誰より先に出ていった。「橙青き丘の別れや葛の花」 梶はすぐ初めの一句を手帖に・・・ 横光利一 「微笑」
・・・そこは伯母の家で、竹筒を立てた先端に、ニッケル製の油壺を置いたランプが数台部屋の隅に並べてあった。その下で、紫や紅の縮緬の袱紗を帯から三角形に垂らした娘たちが、敷居や畳の条目を見詰めながら、濃茶の泡の耀いている大きな鉢を私の前に運んで来てく・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫