・・・ダンテの地獄篇の初めに出てくるあのエルギリウスとか何とかいう老詩人の如く、余りに久しくもの言わざりしにより声しわがれ、急に、諸君の眠りを覚ます程の水際立った響きのことは書けないかも知れないが、次第に諸君の共感を得る筈だと確信して、こうして書・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・そのとしの十一月下旬、朝ふと眼を醒ますと、以前おなじ銀座のバアにつとめていた高野さちよが、しょんぼり枕もとに坐っていた。「ほかに、ないもの。」さちよは、冷い両手で、寝ている数枝の顔をぴたとはさんだ。 数枝には、何もかもわかった。・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・私は十時ころぐっすり寝込んだんですが、ふと目を覚ますと、唸り声がする、苦しい苦しいという声がする。どうしたんだろう、奥には誰もいぬはずだがと思って、不審にしてしばらく聞いていたです。すると、その叫び声はいよいよ高くなりますし、誰か来てくれ!・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・彼女は、私より少し年上なだけ、少し早く眼を醒ます。私は眠い、眠い。部屋数がないから、彼女は早く起きても自分だけ自由な行動はとれない、そのうちに眠っていた時は何でもなかった朝おそい室内の空気は、醒めて見ると、何と唾棄すべきものだろう。そこで、・・・ 宮本百合子 「この夏」
この頃の新緑の美しさ。私は、毎朝目を醒ますと、先ず庭を観るのが一つの悦びだ。空がよく晴れて、日光がキラキラする梢の鮮かな姿を見るのもたのしいし、又は、今朝のような雨に煙とけ、一層陰翳ふかい緑にしたたる様子を眺めるのも快い。・・・ 宮本百合子 「新緑」
・・・ 朝眼を覚ますと、お婆さんは先ず坊主になった箒で床を掃き、欠けた瀬戸物鉢で、赤鼻の顔を洗いました。それから、小さな木鉢に御飯を出し、八粒の飯を床に撒いてから、朝の食事を始めます。八粒の米は、三匹の鼠と五匹のげじげじの分でした。さっきから・・・ 宮本百合子 「ようか月の晩」
・・・その愚にせられた黔首が少しでも目を醒ますと、極端な無政府主義者になる。だからツアアルは平服を著た警察官が垣を結ったように立っている間でなくては歩かれないのである。一体宗教を信ずるには神学はいらない。ドイツでも、神学を修めるのは、牧師になる為・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・兎に角拳銃が寝床に置いてあったのを、持って来れば好かったと思ったが、好奇心がそれを取りに帰る程の余裕を与えないし、それを取りに帰ったら、一しょにいる人が目を醒ますだろうと思って諦念めたそうだ。磚は造做もなく除けてしまった。窓へ手を掛けて押す・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・――これらのものが絶えず雑多な問題を呼び醒ます。 私の努力はそれと徹底的に戦って自己の生活を深く築くにある。私の心は日夜休むことがない。私は自分の内に醜く弱くまた悪いものを多量に認める。私は自己鍛錬によってこれらのものを焼き尽くさねばな・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
出典:青空文庫