・・・後者は、城山のふもとの橋のたもとに人の腕が真砂のように一面に散布していて、通行人の裾を引き止め足をつかんで歩かせない、これに会うとたいていはその場で死ぬというのである。もちろんもう「中学教育」を受けているそのころのわれわれはだれもそ・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・芋の葉と形はよく似ているが葉脈があざやかな洋紅色に染められてその周囲に白い斑点が散布している。芋から見れば片輪者であり化け物であろうが人間が見るとやはり美しい。 ベコニア、レッキスの一種に、これが人間の顔なら焼けどの瘢痕かと思われるよう・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・例えば年若き婦人が出産のとき、其枕辺の万事を差図し周旋し看護するに、実の母と姑と孰れが産婦の為めに安心なるや。姑必ずしも薄情ならず、其安産を祈るは実母と同様なれども、此処が骨肉微妙の天然にして、何分にも実母に非ざれば産婦の心を安んずるに足ら・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・我々の列車が、モスクワを出て三日目だのに既に十八時間遅れながら、社会主義連邦中枢よりのニュースを、シベリアのところどころに撒布しつつ進行しているわけである。 この『コンムーナ』は二十七日の分である。深い興味で隅から隅まで読んだ。丁度今こ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・マルクシズムに対して母親の感情へまで入っている材料は、その会で博士とか伯爵とかが丁寧な言葉づかいで撒布するそのものなのであった。 母親は保守的になって、しかも仏いじりの代りに国体を云々するようにその強い気質をおびきよせられているのであっ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ ○看板に、火がぱっとつき、それで家にうつる。それを皆でこわす。 ○産婦が非常に出産する。日比谷で、幾人も居る。順天堂でも患者をお茶の水に運び、精養軒へ行き駒込の佐藤邸へうつる迄に幾人も産をした。 ◎隅田川に無数の人間の死体が燃・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・後からしずかに唸っている若い産婦の背中を撫ではじめた。 分娩室では、丁度今五人の産婦が世話をされているところだ。助産婦が敏捷に体と手とを働かしながら、単純な優しい、励ましの言葉をかけてやっている。激しい、生の戦場だ。「――説明をおと・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
出典:青空文庫