・・・自分が絵解きをした絵本、自分が手をとって習わせた難波津の歌、それから、自分が尾をつけた紙鳶――そう云う物も、まざまざと、自分の記憶に残っている。…… そうかと云って、「主」をそのままにして置けば、独り「家」が亡びるだけではない。「主」自・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・其他に慰みとか楽みとかいって玩弄物を買うて貰うようなことは余り無かったが、然し独楽と紙鳶とだけは大好きであっただけそれ丈上手でした。併し独楽は下劣の児童等と独楽あてを仕て遊ぶのが宜くないというので、余り玩び得なかったでした。紙鳶は他の子供が・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・を、天に報告しているのだ。私怨では無いのだ。けれども、そう言うとまた、人は笑って私を信じない。 私は、よっぽど、甘い男ではないかと思う。謂わば、「観念野郎」である。言動を為すに当って、まず観念が先に立つ。一夜、酒を呑むに当っても、何かと・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・ おもしろいことは、土佐で自分の子供の時代に、紙鳶の競揚をやる際に、敵の紙鳶糸を切る目的で、自分の糸の途中に木の枝へ剃刀の刃をつけたものを取り付ける。この刃物を「シューライ」と名づける。これは前記のサンスクリトの「クシューラ」とよく似て・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・何をさせても器用であって、彼の作った紙鳶は風の弱い時でも実によく揚りそうして強風にも安定であった。一緒に公園の茂みの中にわなをかけに行っても彼のかけた係蹄にはきっとつぐみや鶸鳥が引掛かるが、自分のにはちっともかからなかった。鰻釣りや小海老釣・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・ 正月一ぱい、私は紙鳶を上げてばかり遊び暮した。学校のない日曜日には、殊更に朝早く起出て、冬の日の長からぬ事を恨んだが、二月になって或る日曜日の朝は、そのかいもなく雪であった。そして、ついぞ父親の行かれた事のない勝手口の方に、父の太い皺・・・ 永井荷風 「狐」
・・・なんだか紙鳶が木の枝へ引っかかっていながら、途中で揚がってるような気がしていけませんからと言った。重吉のことは自分も同感であった。それにしても妻によくこんな気のきいた言葉が使えると思って、お前誰かに教わったのかいと、なにも答えないさきに、ま・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・ある種の文化・文学活動家たちがこの見解の支援のためにうごかされたことも、職場の文学サークルの分裂がある意味ではそこからひき出されたことも、この数年間民主主義文学運動にたずさわって来ていた人が公平にかえりみるならば、すべて理解するとおりである・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・ 世界の民主的な勢力が、私達日本の健気に働く女性の一人一人を支援している力を確信してアジアの幸福と日本の幸福が一つものとして解決されてゆく様に努力致しましょう。 私は去年の暮から大変体を悪くして、外出や講演が出来なくなったのでいろい・・・ 宮本百合子 「今年こそは」
・・・ 婦人民主新聞は、これらの人々の努力と読者の支援によって、だんだん新聞らしくなり、生活的になり、歴史のすすみゆく日日に役割をふかめてきている。婦人民主クラブと婦人民主新聞が、はじめからきょうまで平和のために発言しつづけてきていることは注・・・ 宮本百合子 「その人の四年間」
出典:青空文庫