・・・「何に意趣を含みましたか、しかとしたことはわかりませぬ。」 治修はちょいと考えた後、念を押すように尋ね直した。「何もそちには覚えはないか?」「覚えと申すほどのことはございませぬ。しかしあるいはああ云うことを怨まれたかと思うこ・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・「よろしゅうござりまする、しかと向後は慎むでございましょう。」「おお、二度と過をせぬのが、何よりじゃ。」 佐渡守は、吐き出すように、こう云った。「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」 彼は、眼に涙をためな・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・麻緒の足駄の歯をよじって、憎々しげにふり返りますと、まるで法論でもしかけそうな勢いで、『それとも竜が天上すると申す、しかとした証拠がござるかな。』と問い詰るのでございます。そこで恵印はわざと悠々と、もう朝日の光がさし始めた池の方を指さしまし・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・ と引いて縋る、柔い細い手を、謹三は思わず、しかと取った。 ――いかになるべき人たちぞ…大正九年十月 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・瞼を掛けて、朱を灌ぐ、――二合壜は、帽子とともに倒れていた――そして、しかと腕を拱く。 女は頤深く、優しらしい眉が前髪に透いて、ただ差俯向く。 六「この次で下車るのじゃに。」 となぜか、わけも知らない娘を・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・と深刻なる声を絞りて、二十日以来寝返りさえもえせずと聞きたる、夫人は俄然器械のごとく、その半身を跳ね起きつつ、刀取れる高峰が右手の腕に両手をしかと取り縋りぬ。「痛みますか」「いいえ、あなただから、あなただから」 かく言い懸けて伯・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ 縋る波に力あり、しかと引いて水を掴んで、池に倒に身を投じた。爪尖の沈むのが、釵の鸚鵡の白く羽うつがごとく、月光に微に光った。「御坊様、貴方は?」「ああ、山国の門附芸人、誇れば、魔法つかいと言いたいが、いかな、さまでの事もな・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ と釣込まれたように、片袖を頬に当てて、取戻そうと差出す手から、ついと、あとじさりに離れた客は、手拭を人質のごとく、しかと取って、「気味の悪かったのは只今でしたな――この夜ふけに、しかも、ここから、唐突だろう。」 そのまま洗面所・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・一度、しかとしめて拱いた腕を解いて、やや震える手さきを、小鬢に密と触れると、喟然として面を暗うしたのであった。 日南に霜が散ったように、鬢にちらちらと白毛が見える。その時、赤蜻蛉の色の真紅なのが忘れたようにスッと下りて、尾花の下に、杭の・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 絹代とは田中絹代、一夫とは長谷川一夫だとどうやらわかったが、高瀬とは高瀬なにがしかと考えていると、「貴方は誰ですの?」「高瀬です」 つい言った。「まあ」 さすがに暫らくあきれていたようだったが、やがて、「高瀬は・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫