・・・子供の心身の暗弱四肢耳目の不具は申すまでもなく、一本の歯一点の黶にも心を悩まして日夜片時も忘るゝを得ず。俗に言う子供の馬鹿ほど可愛く片輪ほど憐れなりとは、親の心の真面目を写したるものにして、其心は即ち子供の平等一様に幸福ならんことを念ずるの・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・無にかかわらず外面の美風だけはこれを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得て詳らかにするに由なしといえども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子なく家名の断絶する法律さえ行われたる・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・すると、私がずっと子供の時分からもっていた思想の傾向――維新の志士肌ともいうべき傾向が、頭を擡げ出して来て、即ち、慷慨憂国というような輿論と、私のそんな思想とがぶつかり合って、其の結果、将来日本の深憂大患となるのはロシアに極ってる。こいつ今・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・古人が杜詩を詩史と称えし例に傚わば曙覧の歌を歌史ともいうべきか。余が歌集によりてその人の事蹟と性行とを知り得たるもその歌史たるがためなり。しかれども彼が杜詩より得たるか否かは知るに由なし。ただ杜甫の経歴の変化多く波瀾多きに反して、曙覧の事蹟・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・殊にその豪傑志士を気取る処は俗受けのする処であってその実その紀行の大欠点である。某の東北徒歩旅行は始めよりこの徒歩旅行と両々相対して載せられた者であったが、その文章は全く幼稚で別に評するほどのものではなかった。独り楽天の文は既に老熟の境に達・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・ タルラがまるで小さな獅子のように答えました。「私は饑饉でみんなが死ぬとき若し私の足が無くなることで饑饉がやむなら足を切っても口惜しくありません。」 アラムハラドはあぶなく泪をながしそうになりました。「そうだ。おまえには歩く・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・そして二人はまるで二匹の獅子のように、じっとにらみ合いました。見物はもうみんな総立ちです。「テジマア! 負けるな。しっかりやれ。」「しっかりやれ。テジマア! 負けると食われるぞ。」こんなような大さわぎのあとで、こんどはひっそりとなり・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・「いのししむしゃのかぶとむしつきのあかりもつめくさのともすあかりも眼に入らずめくらめっぽに飛んで来て山猫馬丁につきあたりあわててひょろひょろ落ちるをやっとふみとまりいそいでかぶとをしめなおし月のあかり・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・春三月 発芽を待つ草木と二十五歳、運命の隠密な歩調を知ろうとする私とは双手を開き空を仰いで意味ある天の養液を四肢 心身に 普く浴びようとするのだ。 二月十六日 ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・ 転ぶまい、車にぶつかるまい、帽子を飛ばすまい、栄蔵の体全体の注意は、四肢に分たれて、何を考える余裕もなく、只歩くと云う事ばかりを専心にして居た。 肩や帽子に、白く砂をためて家に帰りつくと、手の切れる様な水で、パシャパシャと顔や手足・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫