・・・ セコンドメイトは、私と並んで、私が何を眺めているか検査でもするように、私の視線を追っかけていた。 私は左の股に手をやって、傷から来た淋巴腺の腫れをそうっと撫でた。まるで横痃ででもあるかのように、そいつは痛かった。 ――横痃かも・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・これではいかぬと思うて、少く頭を後へ引くと、視線が変ったと共にガラスの疵の具合も変ったので、火の影は細長い鍵のような者になった。今度はきっと風変りの顔が見えるだろうと見て居たけれど火の形が変なためか一向何も現れぬ。やや暫くすると何やら少し出・・・ 正岡子規 「ランプの影」
・・・そういう運動に携っている婦人たちに対して、一般の婦人が一種皮肉な絶望の視線を向けるほど微々たるものであった。 社会の内部の複雑な機構に織り込まれて、労働においても、家庭生活においても、その最も複雑な部面におかれている婦人の諸問題を、それ・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・賀川豊彦でなくても死線が現われました。 あなたがひどくお悪かったあと、髪がうすく軽くなって、向い会っていると頭の地がすけてみえて本当に吃驚したことがありました。絞りの着物を着て、やっと歩いて出ていらしてお腹を落して椅子にかけていらした時・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 注意をひかれるのは、この作者が、「外国人は全部四川省からも揚子江からも、いまに追い出されてしまうようなことになりましょう」「われわれはこの民族の偉大な興隆のほんの始まりに居合わせただけなのです」という観念と「かれらは受身でおとなしく、・・・ 宮本百合子 「「揚子江」」
・・・ 閭がその視線をたどって、入口から一番遠い竈の前を見ると、そこに二人の僧のうずくまって火に当っているのが見えた。 一人は髪の二三寸伸びた頭を剥き出して、足には草履をはいている。今一人は木の皮で編んだ帽をかぶって、足には木履をはいてい・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・ ルイザの視線はナポレオンの腹部に落ちた。ナポレオンの腹は、猛鳥の刺繍の中で、毛を落した犬のように汁を浮べて爛れていた。「ルイザ、余と眠れ」 だが、ルイザはナポレオンの権威に圧迫されていたと同様に、彼の腹の、その刺繍のような毒毒・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・見る度に妻の顔は、明確なテンポをとって段階を描きながら、克明に死線の方へ近寄っていた。――山上の煉瓦の中から、不意に一群の看護婦たちが崩れ出した。「さようなら。」「さようなら。」「さようなら。」 退院者の後を追って、彼女たち・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫