・・・ かなり困った生活をして居るのに、士族の女房が賃仕事なんかする奴があるかと云って栄蔵は、絶対に内職と云うものをさせないので、留守の間にと、近所の者達のところから一二枚ずつ、「一人で居るので、あんまり所在ないから。と云って・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・広い、人気のない渚の砂は、浪が打ち寄せては退くごとに滑らかに濡れて夕焼に染った。「もう大島見えないわね」「――雪模様だな、少し」 風がやはり吹いた。海が次第に重い銅色になって来た。光りの消えた砂浜を小急ぎに、父を真中にやって来る・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・ こういう威嚇ばかりでなく、警察では例えば拘留がきまると親族に通知して貰えるキマリである。が、留置場で見ていると、大抵の看守は、いきなり、「通知人ありか、なしか」と訊いた。または、「ここへ通知人ナシと書け」という。不馴れ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・そこには血のにじみのように、日本の社会・家族・親族関係の現実とその中におかれている婦人の矛盾した立場についての抗議や生活破壊への抗議が語られている。「女らしい生きかた」「女として生きる道」としてしつけられて来たその道、そのやりかたで、女はも・・・ 宮本百合子 「『この果てに君ある如く』の選後に」
・・・という作品は、小市民としてのインテリゲンツィアとその庶民風な親族との家庭生活のいきさつを描いたものであったが、民衆生活の内に齎らされた知性を、それによってより光明的な方向に生活を押しすすめて行くべき原動力としての関係において描かず、周囲の自・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・性格のひどく異った父と母との間には、夫婦としての愛着が純一であればあるほど、むきな衝突が頻々とあって、今思えばその原因はいろいろ伝統的な親族間の紛糾だの、姑とのいきさつだの、青春時代から母の精神に鬱積していた女性としての憤懣の時ならぬ爆発や・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・祖母は、不良少年のようにしてしまった発端における自分の責任は理解出来ないたちの人であったから、やくざになった一彰さんばかりを家名ということで攻めたてた。親族会議だとか廃嫡だとか大騒ぎをした。そして、そのごたごたの間に母の実家は潰れた形になっ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・ けれ共十年立った今では死んだ者の多くがそうである通りに彼の名も彼の相貌も大方は忘られて、極く稀に兄弟や親族の誰彼の胸に「昔の思い出」として淡い記憶の裡に蘇返るばかりである。 其故只一年位ほか一緒に居なかった私而かもまだ小学に入った・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ この頃では、バスの車掌もひところのように赤ん坊が生れたからと云って退くひとがなくなって来た。堂々子供をつれて職場にねばるようになって来た。 ××終点の引かえし線の安全地帯に立っていたら、すぐうしろで、「ストライキ見に来たよ・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・家族関係というふうのものも近代の意味では確立していなかったから、互いにとって親族的な縦横の関係は無視されていた。いいかえれば、母、姉、妹の関係が明瞭でなくて、そこには若さの差別のある女が存在したばかりだったし、それらの女にとって父、兄、弟と・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
出典:青空文庫