・・・もっともそんなつまらないことを覚えているのは、当時の自分の子供心に軽い嫉妬のようなものを感じたためかもしれないと思われる。 もう一人の同宿者があった。どこかの小学校の先生であったと思う。自分で魚市場から買って来た魚をそのまま鱗も落さずわ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・わたくしは旧習に晏如としている人たちに対する軽い羨望嫉妬をさえ感じないわけには行かなかった。 三月九日の火は、事によるとこの昔めいた坊主頭の年寄をも、廓と共に灰にしてしまったかも知れない。 栄子と共にその夜すみれの店で物を食べた踊子・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・或る地方の好色男子が常に不品行を働き、内君の苦情に堪えず、依て一策を案じて内君を耶蘇教会に入会せしめ、其目的は専ら女性の嫉妬心を和らげて自身の獣行を逞うせんとの計略なりしに、内君の苦情遂に止まずして失望したりとの奇談あり。天下の男子にして女・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・世間或は之を見て婦人の嫉妬など言う者もあらんなれども、凡俗の評論取るに足らず、男子の獣行を恣にせしむるは男子その者の罪に止まらず、延いて一家の不和不味と為り、兄弟姉妹相互の隔意と為り、其獣行翁の死後には単に子孫に病質を遺して其身体を虚弱なら・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・それですからわたくしはあなたがパリイでどんな女とどんな事をなさろうとも、嫉妬を感じたことはございません。それはどんな貴婦人でも、どんな賤しい女でも、わたくしの夢までを奪ってしまうことは出来ないからでございます。それにわたくしには可笑しい自負・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・のイレーネは長い冬から突然芽立って来たばかりの蕾のような感情の猛烈さ、程よいという表現を知らない荒っぽさで、父への愛、母への愛の自分で知らない嫉妬にめくらになるのだが、私は一人の観客としてこの映画に堪能しないものをのこされた。芸術的な感銘で・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・女の日常に嫉妬や反目がないといえば、それはうそになろう。 それにもかかわらず、なお女同士の間には次第に社会的な基礎での友情がえられて来ているし、その質もおいおいたかめられ、それを評価し尊重することも学んで来ているのは、どういうわけだろう・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・どうにかして美しくなろうと意気込んで、それと同時にあなたに対しては気違染みた嫉妬をしていたのです。まだ覚えておいでなさるか知りませんが、いつでしたかあなたが御亭主と一しょに舞踏会に往くとおっしゃった時、わたくしは夢中になっておこったことがあ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・を、それだけ妹の方に分けられはすまいかと、今さら不安な気持が起って来ると、自分よりも先に医者を迎えに行ったお留の仕打ちに微かな嫉妬を感じて来た。「何ぞ欲しいものはないか?」とお霜は安次に訊いた。「結構や。」「お前この間、銭持って・・・ 横光利一 「南北」
・・・そして、栖方の云うままには動けぬ自分の嫉妬が淋しかった。何となく、梶は栖方の努力のすべてを否定している自分の態度が淋しかった。「君、排中律をどう思いますかね、僕の仕事で、いまこれが一番問題なんだが。」 梶は、問うまいと思っていたこと・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫