・・・文学団体が機関誌さえも順調に刊行できず、団体解散の理由を、直接治安維持法の暴力によるものと明言し得ないで、指導者と指導理論の批判に藉口するために汲々としている雰囲気の中で、小林多喜二全集刊行がどうして実現しよう。客観的にも主観的にも全集刊行・・・ 宮本百合子 「小林多喜二の今日における意義」
・・・ 七月十二日夕暮五時の斜光静かに 原稿紙の上におちてわが 心を誘う。――純白な紙、やさしい点線のケイの中に何を書かせようと希うのか深みゆく思い、快よき智の膨張私は 新らしい仕事にかかる前愉し・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・何故ないかというと、そういう風な全然子供自身が大人から聞かなければ知らないような、そういう幻想、それから変な射倖心、例えば鍬を借りて土を掘ったら金が出ましたという、そういう個人的射倖というものを主題にしたもの、それから個人的な名誉心を唆かす・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・ 人影ないそっちの小径には、葉茂みの片側だけ午後の斜光に照し出された蜀葵の紅い花がある。男の一人、歩きつつ莨に火をつけた。 鳥打帽の若者は、まだ下絵を描いている。写生の日傘も動かない。ほんの少し風が渡り、夥しい草の葉が、軟い音、・・・ 宮本百合子 「百花園」
・・・向うの黒い森も池の水の面も、そこに浮んでいる一つのボートも、気味わるく赤い斜光に照らされて凝っとしている中に、何かが立っている。青白いような顔半分がこっちに見えるのだけれど、そのほかのところは朦朧として、胸のところにかーっと燃え立つような色・・・ 宮本百合子 「本棚」
・・・向い側の店々が正面から午後の斜光を受けている。ダーリヤが窓のそばへ歩きよる毎に、日除けの下に赤いエナメルの煙草屋の商牌が下っているのが見えた。タバコ。コバタ。バタコ。――それは色々に読むことが出来た。―― 三時過て、レオニード・グレゴリ・・・ 宮本百合子 「街」
・・・ 丁度近所の人の態度と同じで、木村という男は社交上にも余り敵を持ってはいない。やはり少し馬鹿にする気味で、好意を表していてくれる人と、冷澹に構わずに置いてくれる人とがあるばかりである。 それに文壇では折々退治られる。 木村はただ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・秀麿は別に病気はないのに、元気がなくなって、顔色が蒼く、目が異様に赫いて、これまでも多く人に交際をしない男が、一層社交に遠ざかって来た。五条家では、奥さんを始として、ひどく心配して、医者に見せようとしたが、「わたくしは病気なんぞはありません・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 二、社交上の漱石 二度ばかり逢ったばかりであるが、立派な紳士であると思う。 三、門下生に対する態度 門下生と云うような人物で僕の知て居るのは、森田草平君一人である。師弟の間は情誼が極めて濃厚であると・・・ 森鴎外 「夏目漱石論」
出典:青空文庫