・・・自分も上陸したくてたまらんので同行の人が周旋してくれたが検疫官はどうしても許さぬ。自分の病気の軽くない事は認めて居るが下痢症でない者を上陸させろという命令がないから仕方がないという事であった。如何にも不親切な、臨機の処置を知らぬ検疫官だと思・・・ 正岡子規 「病」
・・・ 終戦のとき、それからあと、これら第一線の花形たちの生活はどうなったろう。女は家庭にかえれと、職場を失った。大部分が戦災をうけ、親を失っている。淫売によって生きなければならない若い女の暮しぶりが、まるで民主日本のシムボルであるかのように・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・ 考えて見ると、それから一年位経つか経たないうちに、外国語学校教授で、英国官憲の圧迫に堪えかねて自殺したという、印度人のアタール氏を始めて見たのがその周旋屋の、妙に落付かない応接所であった。 今顧ると、丁度その夏は、貸家払底の頂上で・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・最近巷にたくさん本が出ておりますが、一体そういう本屋は、どういう本屋かと申しますと、軍や何かに引掛りがあって、終戦のどさくさに、ちょろまかした紙を持っている人達なのであります。 そうすると、公平にみまして、本が出せるということは、誰にで・・・ 宮本百合子 「幸福について」
・・・「芸術家の方も自重しませんと……。終戦後のわれわれの恥を云えば、作家の態度が、一種のセンセーショナリスムをねらうみたいになってしまってね。人の魂に小さな声で囁きかけてゆくのでは駄目で、往来の真ン中で、わあッと大声をあげる式でないと、声が・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ そもそも「思想性」というものは、どういうものを指して呼ばれる名なのであろうか、と。 終戦後、世界に類のなかった日本の文化弾圧は一応終熄されて、俄に総てのことを云い、又書きしてよいことになった。雑誌の編輯者や出版者たちは、競って進歩・・・ 宮本百合子 「「どう考えるか」に就て」
・・・こんにち若い執筆家として評論や小説をかいている人々は、終戦まで蔵原惟人の名を知らず、宮本、中野、壺井その他の人々の名さえ知らなかった、という例が少くないことを考慮すべきです。 労働者に役立つ文学であるかそうでない文学であるかというこ・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・ 生活のしかたにはいろいろのちがいがあるけれども、わたくしたちには共通した人生の願いというものが、こんにちの生活から導きだされてつよく一貫して流れはじめていると思います。 終戦の後しばらくは次のように考えていた年よりもなくはなかった・・・ 宮本百合子 「願いは一つにまとめて」
・・・ 国庫予算の中でも終戦処理費があまり厖大であるためにわれわれ人民は各種各様の課税にくるしんで来ている。その上に、昨今は取引高税その他日常生活に直接ひびく課税目録がふえた。脱税は重い刑でとりしまるとおびやかされている。政府は、日本の目・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・昭和七年から終戦まで、そして今日わたしが床の上でこの手紙をひとに書いてもらわなければならないような健康状態におかれるようになった十数年間のすべての治安維持法関係の書類のかげには、安倍源基の名が関係しています。 表面上ファシスト団体が解散・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
出典:青空文庫