・・・われ浮世の旅の首途してよりここに二十五年、南海の故郷をさまよい出でしよりここに十年、東都の仮住居を見すてしよりここに十日、身は今旅の旅に在りながら風雲の念いなお已み難く頻りに道祖神にさわがされて霖雨の晴間をうかがい草鞋よ脚半よと身をつくろい・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・我を訪ふ日や初鰹雪信が蝿打ち払ふ硯かな孑孑の水や長沙の裏長屋追剥を弟子に剃りけり秋の旅鬼貫や新酒の中の貧に処す鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな新右衛門蛇足をさそふ冬至かな寒月や衆徒の群議の過ぎて後 高野隠れ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 須利耶さまは童子を十二のとき、少し離れた首都のある外道の塾にお入れなさいました。 童子の母さまは、一生けん命機を織って、塾料や小遣いやらを拵らえてお送りなさいました。 冬が近くて、天山はもうまっ白になり、桑の葉が黄いろに枯れて・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ アメリカは勿論のこと、イギリスでもフランスでも、文化の中心は決してただ一ヵ所の首都に集注されてはいない。ボストンだけが文化の中心ではないし、パリだけが文化の中軸をなしていると云えない。それぞれの国は、各地方に、独自的な伝統と特色とをゆ・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・ハリコフ市はそういう点から一つの新しい民族首都である。ここを選んで国際的な革命作家の会議が行われたことは輝かしい。 会議は十一月六日から十五日まで続いた。二十二人の資本主義国、植民地、半植民地から革命的作家が集った。 代表によって各・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ だが、モスクワそのものを、本当にソヴェトの首都にふさわしい社会主義都市に根柢からかえることは可能だろうか? モスクワはモスクワとして、歴史的な美しい寺院のいろいろな円屋根を真白い厳寒の中にきらめかせればよい。そして、ストラスナーヤ僧院・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・十二月二十四日の都下の諸新聞は、防共三首都の日本景気に氾濫したニュースと共に、四年間に亙った帝人事件が無罪と決定したこと並に、明春建国祭を期して一大国民運動をおこして特に国体明徴、日本精神の昂揚、個人主義、自由主義、功利主義、唯物主義の打破・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 現在のところでは上野の帝国図書館にしろ蔵書の量と種目とでは決して満足と云えないし、日比谷の市立図書館を、東亜の大首都東京市の代表図書館であると云わなければならないことには、些か忸怩たるものがありはしないだろうか。図書館へは学生のうちだ・・・ 宮本百合子 「実際に役立つ国民の書棚として図書館の改良」
・・・ 房々と白い花房を垂れ、日向でほのかに匂う三月の白藤の花の姿は、その後間もなく時代的な波瀾の裡におかれた私たち夫婦の生活の首途に、今も清々として薫っている。 その時分、古田中さんのお住居は、青山師範の裏にあたるところにあった。ある夏・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・其金と、自分等の書籍と、僅かな粗末な家具が新生涯の首途に伴う全財産なのである。 兎に角、いくら探しても適当な家がないので、仕方なく、まだ人の定らない、十番地の家にすることに決定して仕舞った。 敷金と、証文とをやり、八畳、六畳、三畳、・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
出典:青空文庫