・・・小学の教則に、さまざま高上なる課目をのせ、技芸も頂上に達して、画学、音楽、唱歌、体操等を教授せんとする者あるが如し。田舎の百姓の子に体操とは何事ぞ。草を刈り、牛を飼い、草臥はてたるその子供を、また学校に呼びて梯子登りの稽古か、難渋至極という・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・また、武家の子を商人の家に貰うて養えば、おのずから町人根性となり、商家の子を文人の家に養えば、おのずから文に志す。幼少の時より手につけたる者なれば、血統に非ざるも自然に養父母の気象を承るは、あまねく人の知る所にして、家風の人心を変化すること・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・智識の眼より見るときは、清元にもあれ常磐津にもあれ凡そ唱歌といえるものは皆人間の声に調子を付けしものにて、其調子に身の有るものは常磐津となり意気なものは清元となると、先ず斯様に言わねばならぬ筈。されど若し其の身のある調子とか意気な調子とかい・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・大方かなりな商家の若旦那であろう。四十近くでは若旦那でもない訳だが、それは六十に余る達者な親父があって、その親父がまた慾ばりきったごうつくばりのえら者で、なかなか六十になっても七十になっても隠居なんかしないので、立派な一人前の後つぎを持ちな・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・舟はいくつも上下して居るが、帆を張って遡って行く舟が殊に多い。その帆は木綿帆でも筵帆でも皆丈が非常に低い。海の舟の帆にくらべると丈が三分の一ばかりしかない。これは今まででもこうであったのであろうが今日始めて見たような心持がしてこの短い帆が甚・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・中につきて数句を挙ぐれば草霞み水に声なき日暮かな燕啼いて夜蛇を打つ小家かな梨の花月に書読む女あり雨後の月誰そや夜ぶりの脛白き鮓をおす我れ酒かもす隣あり五月雨や水に銭蹈む渡し舟草いきれ人死をると札の立つ秋風・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・かつその説明的なると文学的なるとを問わず、かくのごとき理想を述べたる文字に至りては上下二千載我に見ざるところなり。奇文なるかな。 蕪村の句の理想と思しきものを挙ぐれば河童の恋する宿や夏の月湖へ富士を戻すや五月雨名月や兎の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・しかしゆうべまであった花はどうしたろう、生花も造花もなんにも一つもないよ。何やら盛物もあったがそれも見えない。きっと乞食が取ったか、この近辺の子が持って往たのだろう。これだから日本は困るというのだ。社会の公徳というものが少しも行われて居らぬ・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 二時間目は一年生から六年生までみんな唱歌でした。そして先生がマンドリンを持って出て来て、みんなはいままでに習ったのを先生のマンドリンについて五つもうたいました。 三郎もみんな知っていて、みんなどんどん歌いました。そしてこの時間はた・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ けれども二人が一つの大きな帳面をのぞきこんで一所に同じように口をあいたり少し閉じたりしているのを見るとあれは一緒に唱歌をうたっているのだということは誰だってすぐわかるだろう。僕はそのいろいろにうごく二人の小さな口つきをじっと見ているの・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
出典:青空文庫