・・・杉の大木の下に床几を積み上げたるに落葉やゝ積りて鳥の糞の白き下には小笹生い茂りて土すべりがちなるなど雑鬧の中に幽趣なるはこの公園の特徴なるべし。西郷像の方へ行きたれども書生の群多くてうるさければ引きかえしパノラマ館裏手の坂を下る。こゝは稍静・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・十六むさし、将棋の駒の当てっこなどしてみたが気が乗らぬ。縁側に出て見ると小庭を囲う低い土塀を越して一面の青田が見える。雨は煙のようで、遠くもない八幡の森や衣笠山もぼんやりにじんだ墨絵の中に、薄く萌黄をぼかした稲田には、草取る人の簑笠が黄色い・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・私が林の家へいって、林の妹と三人で「兵隊将棋」をしたり、百人一首をしたり、饅頭など御馳走になったりしたことがあるが、たいていは林が私の家へくる方が多かった。だって私は妹の守りをすることもあるし、忙がしいのだから、一緒になるにはそれより方法が・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・次の日の午時頃、浅草警察署の手で、今戸の橋場寄りの或露地の中に、吉里が着て行ッたお熊の半天が脱捨てあり、同じ露地の隅田川の岸には娼妓の用いる上草履と男物の麻裏草履とが脱捨ててあッた事が知れた。お熊は泣々箕輪の無縁寺に葬むり、小万はお梅を・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・狐でもなく女給でもなく、公休日にでも外出した娼妓であったらしい。わたくしはどこで夕飯をととのえようかと考えながら市設の電車に乗った。 その後一年ほどたってから再び元八まんの祠を尋ねると、古い社殿はいつの間にか新しいものに建替えられ、夕闇・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・突然耳元ちかく女の声がしたので、その方を見ると、長命寺の門前にある掛茶屋のおかみさんが軒下の床几に置いた煙草盆などを片づけているのである。土間があって、家の内の座敷にはもうランプがついている。 友達がおかみさんを呼んで、一杯いただきたい・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・王を二尺左に離れて、床几の上に、纎き指を組み合せて、膝より下は長き裳にかくれて履のありかさえ定かならず。 よそよそしくは答えたれ、心はその人の名を聞きてさえ躍るを。話しの種の思う坪に生えたるを、寒き息にて吹き枯らすは口惜し。ギニヴィアは・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・第四夜 広い土間の真中に涼み台のようなものを据えて、その周囲に小さい床几が並べてある。台は黒光りに光っている。片隅には四角な膳を前に置いて爺さんが一人で酒を飲んでいる。肴は煮しめらしい。 爺さんは酒の加減でなかなか赤くな・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・窓が高くて背が足りぬ。床几を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠れる犬の生血にて染め抜いたようである。兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧みる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるな・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 無論、此女に抵抗力がある筈がない。娼妓は法律的に抵抗力を奪われているが、此場合は生理的に奪われているのだ。それに此女だって性慾の満足のためには、屍姦よりはいいのだ。何と云っても未だ体温を保っているんだからな。それに一番困ったことには、・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫