・・・ 三 陣中の芝居 明治三十八年五月四日の午後、阿吉牛堡に駐っていた、第×軍司令部では、午前に招魂祭を行った後、余興の演芸会を催す事になった。会場は支那の村落に多い、野天の戯台を応用した、急拵の舞台の前に、天幕を張り渡・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・それだけに、一層戦友の言葉は、ちょうど傷痕にでも触れられたような、腹立たしい悲しみを与えたのだった。彼は凍えついた交通路を、獣のように這い続けながら、戦争と云う事を考えたり、死と云う事を考えたりした。が、そう云う考えからは、寸毫の光明も得ら・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・さすがに商魂で鍛え上げたような矢部も、こいつはまだ出くわさなかった手だぞと思うらしく、ふと行き詰まって思案顔をする瞬間もあった。「事業の経過はだいたい得心が行きました。そこでと」 父は開墾を委託する時に矢部と取り交わした契約書を、「・・・ 有島武郎 「親子」
・・・……秋の招魂祭の、それも真昼間。両側に小屋を並べた見世ものの中に、一ヶ所目覚しい看板を見た。 血だらけ、白粉だらけ、手足、顔だらけ。刺戟の強い色を競った、夥多の看板の中にも、そのくらい目を引いたのは無かったと思う。 続き、上下におよ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・結婚せねばならぬという理屈でよくは性根もわからぬ人と人為的に引き寄せられて、そうして自ら機械のごときものになっていねばならぬのが道徳というものならば、道徳は人間を絞め殺す道具だ。二人は互いに手をとって涙の糸をより合わせ、これからさき神の恵み・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・お袋は念入りに肩を動かして、さも性根なしとののしるかの様子で女の方を見た。「何でも私に寄りかかっていさえすればいいと思って、だだッ子のように来てくれい、来てくれいと言ってよこすんです」「だッて、来てくれなきゃア仕方がないじゃアないか?」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・おまえみたいな子供は、普通のことでは性根が直らない。」と、教師はいって、いろいろ頭の中で、その子供を苦しめる方法を考えました。いままで晩留めにしたり、立たせたり、むちでうったことは、たびたびあったけれど、なんの役にも立たなかったのであります・・・ 小川未明 「教師と子供」
・・・ しかし、いまは、そのときの傷痕も古びてしまって、幹には、雅致が加わり、細かにしげった緑色の葉は、ますます金色を帯び、朝夕、霧にぬれて、疾風に身を揺すりながら、騎士のように朗らかに見られたのであります。 冬でも、この岩穴の中に越年す・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・私は今春、招魂祭の夜の放送を聞いて、しみじみと思ったのである。近代の知性は冷やかに死後の再会というようなことを否定するであろうが、この世界をこのアクチュアルな世界すなわち娑婆世界のみに限るのは絶対の根拠はなく、それがどのような仕組みに構成さ・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・「子供でも出来たら、ちっとは、性根を入れて働くようになろうか。」 飯を食って、野良へ出てから母は云った。兄はまだ、妻の部屋でくず/\していた。「たいがい、伊三郎では、何ンにも働くことを習わずに遊んで育った様子じゃないか。」「・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
出典:青空文庫