・・・ こう云って、一座を眺めながら、「何故かと申しますと、赤穂一藩に人も多い中で、御覧の通りここに居りまするものは、皆小身者ばかりでございます。もっとも最初は、奥野将監などと申す番頭も、何かと相談にのったものでございますが、中ごろから量・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ただ小心者のK中尉だけはこう云う中にも疲れ切った顔をしながら、何か用を見つけてはわざとそこここを歩きまわっていた。 この海戦の始まる前夜、彼は甲板を歩いているうちにかすかな角燈の光を見つけ、そっとそこへ歩いて行った。するとそこには年の若・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・私の周囲のものは私を一個の小心な、魯鈍な、仕事の出来ない、憐れむべき男と見る外を知らなかった。私の小心と魯鈍と無能力とを徹底さして見ようとしてくれるものはなかった。それをお前たちの母上は成就してくれた。私は自分の弱さに力を感じ始めた。私は仕・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・遁も隠れもしませんから、憚りながら、御萱堂とお見受け申します年配の御婦人は、私の前をお離れになって、お引添いの上。傷心した、かよわい令嬢の、背を抱く御介抱が願いたい。」 一室は悉く目を注いだ、が、淑女は崩折れもせず、柔な褄はずれの、彩あ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 脚気を煩って、衝心をしかけていたのです。そのために東京から故郷に帰る途中だったのでありますが、汚れくさった白絣を一枚きて、頭陀袋のような革鞄一つ掛けたのを、玄関さきで断られる処を、泊めてくれたのも、蛍と紫陽花が見透しの背戸に涼んでいた・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・「ええ、私もそれを言わないことじゃなかったのですよ、あまりあれじゃはで作りで、どう見ても七か八に見えますもの。正真なところ、二月生まれの十九ですから……お光さんからもそうちょっと断っておもらい申すでしたにねえ」「そりゃ言いましたとも・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・朝、駅で売っている数種類の予想表を照らし合わせどの予想表にも太字で挙げている本命だけを、三着まで配当のある確実な複式で買うという小心な堅実主義の男が、走るのは畜生だし、乗るのは他人だし、本命といっても自分のままになるものか、もう競馬はやめた・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・いくら口銭を取るのか知らないが、わざと夜を選んでやって来たのも、小心な俄か闇屋らしかった。「千箱だと一万円ですね」「今買うて置かれたら、来年また上りますから結局の所……」「しかし僕は一万円も持っていませんよ」 当にしていた印・・・ 織田作之助 「世相」
・・・祝言の席の仕草も想い合わされて、登勢はふと眼を掩いたかったが、しかしまた、そんな狂気じみた神経もあるいは先祖からうけついだ船宿をしみ一つつけずにいつまでも綺麗に守って行きたいという、後生大事の小心から知らず知らず来た業かもしれないと思えば、・・・ 織田作之助 「螢」
・・・父親は傷心のあまりそれから半年たたぬうちになくなった。 泣けもせずキョトンとしているのを引き取ってくれた彦根の伯父が、お前のように耳の肉のうすい女は総じて不運になりやすいものだといったその言葉を、登勢は素直にうなずいて、この時からもう自・・・ 織田作之助 「螢」
出典:青空文庫