・・・ 浪路は、と見ると、悄然と身をすぼめて首垂るる。 ああ、きみたち、阿媽、しばらく!…… いかにも、唯今申さるる通り、較べては、玉と石で、まるで違う。が、似て非なるにせよ、毒にせよ。これをさえ手に狩るまでの、ここに連れだつ、この優・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・秋雨のしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺の観音の山へ放した時は、煩っていた家内と二人、悄然として、ツィーツィーと梢を低く坂下りに樹を伝って慕い寄る声を聞いて、ほろりとして、一人は袖を濡らして帰った。が、――その目・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 宗吉はかくてまた明神の御手洗に、更に、氷に閑らるる思いして、悚然と寒気を感じたのである。「くすくす、くすくす。」 花骨牌の車座の、輪に身を捲かるる、危さを感じながら、宗吉が我知らず面を赤めて、煎餅の袋を渡したのは、甘谷の手で。・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ これに悚然とした状に、一度すぼめた袖を、はらはらと翼のごとく搏いたのは、紫玉が、可厭しき移香を払うとともに、高貴なる鸚鵡を思い切った、安からぬ胸の波動で、なお且つ飜々とふるいながら、衝と飛退くように、滝の下行く桟道の橋に退いた。 ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・その瞬時真白なる細き面影を一見して、思わず悚然としたまわんか。トタンに件の幽霊は行燈の火を吹消して、暗中を走る跫音、遠く、遠く、遠くなりつつ、長き廊下の尽頭に至りて、そのままハタと留むべきなり。 夜はいよいよ更けて、風寒きに、怪者の再来・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・燈の消えたその洗面所の囲が暗いから、肩も腰も見えなかったのであろう、と、疑の幽霊を消しながら、やっぱり悚然として立淀んだ。 洗面所の壁のその柱へ、袖の陰が薄りと、立縞の縞目が映ると、片頬で白くさし覗いて、「お手水……」 と、もの・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
瑠璃色に澄んだ中空の樹の間から、竜が円い口を張開いたような、釣鐘の影の裡で、密と、美麗な婦の――人妻の――写真を視た時に、樹島は血が冷えるように悚然とした。…… 山の根から湧いて流るる、ちょろちょろ水が、ちょうどここで・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 何か、自分は世の中の一切のものに、現在、恁く、悄然、夜露で重ッくるしい、白地の浴衣の、しおたれた、細い姿で、首を垂れて、唯一人、由井ヶ浜へ通ずる砂道を辿ることを、見られてはならぬ、知られてはならぬ、気取られてはならぬというような思であ・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ら、浪が襲うとすたすたと後へ退き、浪が返るとすたすたと前へ進んで、砂の上に唯一人やがて星一つない下に、果のない蒼海の浪に、あわれ果敢い、弱い、力のない、身体単個弄ばれて、刎返されて居るのだ、と心着いて悚然とした。 時に大浪が、一あて推寄・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 客は、陽の赤蜻蛉に見愡れた瞳を、ふと、畑際の尾花に映すと、蔭の片袖が悚然とした。一度、しかとしめて拱いた腕を解いて、やや震える手さきを、小鬢に密と触れると、喟然として面を暗うしたのであった。 日南に霜が散ったように、鬢にちらちらと・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
出典:青空文庫