・・・ 行きたくない劇場に誘い出されて、看たくない演劇を看たり、行きたくない別荘に招待せられて、食べたくない料理をたべさせられた挙句、これに対して謝意を陳べて退出するに至っては、苦痛の上の苦痛である。今の世を見るに、世人は飲食物を初めとして学・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・尋でその舞台開の夕にも招待を受くるの栄に接したのであったが、褊陋甚しきわが一家の趣味は、わたしをしてその後十年の間この劇場の観棚に坐することを躊躇せしめたのである。その何がためなるやは今日これを言う必要がない。 今日ここに言うべき必要あ・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・僕はさてこそと、変化の正体を見届けたような心持で、覚えず其顔を見詰めると、お民の方でもじろりと僕の顔を尻目にかけて壁の懸物へと視線をそらせたが、その瞬間僕の目に映じたお民の容貌の冷静なことと、平生から切長の眼尻に剣のあった其の眼の鋭い事とは・・・ 永井荷風 「申訳」
私は思いがけなく前から当地の教育会の御招待を受けました。凡そ一カ月前に御通知がありましたが、私は、その時になって見なければ、出られるか出られぬか分らぬために、直にお答をすることが出来ませんでした。しかし、御懇切の御招待です・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 私が先月十五日の夜晩餐の招待を受けた時、先生に国へ帰っても朋友がありますかと尋ねたら、先生は南極と北極とは別だが、ほかのところならどこへ行っても朋友はいると答えた。これはもとより冗談であるが、先生の頭の奥に、区々たる場所を超越した世界・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・僕にあれほど堅い約束をして、経歴談をきかせるの、医者の日記を話すのって、いざとなると、まるで正体なしに寝ちまうんだ。――そうして、非常ないびきをかいて――」「そうか、そりゃ失敬した。あんまり疲れ過ぎたんだよ」「時に天気はどうだい」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・私は招待を受けて一番前の列の真中にいて聴いていました。ところがその歌は下手でした。私は音楽を聞く耳も何も持たない素人ではあるがその人のうたいぶりはすこぶる不味いように感じました。あとでその人に会って感じた通り不味いと云いました。ところがその・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・なぜかと云うと元来この私と云う――こうしてフロックコートを着て高襟をつけて、髭を生やして厳然と存在しているかのごとくに見える、この私の正体がはなはだ怪しいものであります。フロックも高襟も目に見える、手に触れると云うまでで自分でないにはきまっ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ある時大臣の夜会か何かの招待状を、ある手蔓で貰いまして、女房を連れて行ったらさぞ喜ぶだろうと思いのほか、細君はなかなか強硬な態度で、着物がこうだの、簪がこうだのと駄々を捏ねます。せっかくの事だから亭主も無理な工面をして一々奥さんの御意に召す・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 安岡は研ぎ出された白刃のような神経で、深谷が何か正体をつかむことはできないが、凄惨な空気をまとって帰ったことを感じた。 ――決闘をするような男じゃ、絶対にないのだが。―― 安岡は、そんな下らないことに頭を疲らすことが、どんなに・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫