・・・星黒き夜、壁上を歩む哨兵の隙を見て、逃れ出ずる囚人の、逆しまに落す松明の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心傲れる市民の、君の政非なりとて蟻のごとく塔下に押し寄せて犇めき騒ぐときもまた塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。あ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・何処かの工場でアメリカ技師を招聘した。技師は職工を何人かつれて来て、中に黒人労働者もいた。白人職工が何かのことで、議論する間もなくいきなり手を上げて黒人の仲間を殴った。彼は故郷自由の国アメリカ、黒人に対する私刑 オムスクから二時間ば・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・しかし、六月号の批評では、大岡昇平がスタンダール研究者であるという文学的知識に煩わされて、その作者が誰の追随者であろうとも、作品の現実として現代の歴史の中に何を提出しているかという点が、力づよく見きわめられなかった。火野葦平の「悲しき兵隊」・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・村泰次郎一派の人々のいくらか文壇たぬき御殿めいた生きかたそのものや、そのことにおいていわれている文学的意図は、はったりに堕している事実や一方で彼がファシズムに反対し平和を守る側に立っていることでは大岡昇平の文学や「顔の中の赤い月」、「にせき・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・大岡昇平氏の「俘虜記」そのほかの作品に見られる。ソヴェト同盟に捕虜生活をした人々のなかから、「闘う捕虜」「ソ同盟をかく見る」「われらソ連に生きて」そのほかのルポルタージュがあらわれた。それらは日本軍隊の伝統的な野蛮さとたたかって捕虜生活の民・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・への大岡昇平についても考えられることではないだろうか。スタンダリアンであるこの作家の「私の処方箋」は、きょうのロマネスクをとなえる日本の作家が、ラディゲだのラファイエット夫人だの、その他の、下じきをもっていて、その上に処方した作品をつくり出・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・アフガニスタンからアマヌラハンが逃げる前 月六百留で医師を招聘して来た。残念なことに彼にはその時まだディプロマがなかった。―― 独逸の女子共産党員――がСССР女性生活について書いたものが 文芸戦線にのって居た。*月号第○頁 疑問な・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・経験のある人々は、哨兵に呼び止められた時の応答のしぶりを説明する。徒歩で行かなければならない各区への順路を教える。何にしても、夜歩くのは危険極ると云うのに、列車は延着する一方で、東京を目前に見ながら日が暮てしまったので、皆の心配は、種々な形・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
・・・ その後仲平は二十六で江戸に出て、古賀こがとうあんの門下に籍をおいて、昌平黌に入った。後世の註疏によらずに、ただちに経義を窮めようとする仲平がためには、古賀より松崎慊堂の方が懐かしかったが、昌平黌に入るには林か古賀かの門に入らなくてはな・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫