・・・お前たちから見たら、この年をしながら金のことばかり考えていると思うかもしらんが、人が半日で思いつくところを俺しは一日がかりでやっと追いついて行くありさまだから……」 そう言って父は取ってつけたように笑った。「今の世の中では自分がころ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・「何も不思議は無いサ、その頃はウラ若いんだからね、岡本君はお幾歳かしらんが、僕が同志社を出たのは二十二でした。十三年も昔なんです。それはお目に掛けたいほど熱心なる馬鈴薯党でしたがね、学校に居る時分から僕は北海道と聞くと、ぞくぞくするほど・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
ガラーリ 格子の開く音がした。茶の間に居た細君は、誰かしらんと思ったらしく、つと立上って物の隙からちょっと窺ったが、それがいつも今頃帰るはずの夫だったと解ると、すぐとそのままに出て、「お帰りなさいまし。」と、ぞ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・それも辰之助が表装をしてやると言うて、持っていったきり、しらん顔をしているんですもの」「蕪村じゃないかな」「何だか忘れたけれど。今度そう言って持ってきてもらおうかしら」 それでも酒の器などには、ちょっと古びのついたものがまだ残っ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・「だって君、これは何という木かしらんが、栗の木じゃないぜ、途方もないとこに栗の実が落ちてちゃ、ばれるよ。」 も一人が落ちついた声で答えました。「ふん、そんなことは心配ないよ、はじめから僕は気がついてるんだ。そんなことまで何のかん・・・ 宮沢賢治 「二人の役人」
・・・ あれから、半年ばかりの間に、どれほどの苦労をしたのかしらんと、恭二は、ぼんやりと、無邪気な、子供が鳥の飛ぶのを驚く様な驚きを持って居た。 隣の間の夫婦は、こっちに声のもれないほどの低い声で、何やら話し会って居るらしい。折々、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・外套のかげから水色のマントのかげの象牙ぼりの様な女の手をさぐってにぎった。しらんかおをして居る女のよこがおを見ながらソッとにぎりしめるとひやっこいするどい頭の髄まですき通す様な痛さがあたえられた。男はハッと手をひいて一足わきによって女を見た・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・よくは分らないが、二十坪足らずの空地に、円や四角の花床が作られ、菊や、紫蘭、どくだみ、麻、向日葵のようなものが、余り手を入れられずに生えている一隅なのである。 小使部屋を抜けて、石炭殼を敷いた細い細い処を通っても行けたし、教室の方からな・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・ せわしい中にも苦しい中にもどっかしらんにのびやかに奇麗な心のある様にするのには、何でも彼んでもを吸取紙の様に吸うその頃の頭の中におぼろげにでも奇麗な感情をつぎ注いで置くのがいいんです。 少女小説の著者の名にあこがれて、未来の文学者・・・ 宮本百合子 「現今の少女小説について」
・・・ 暫くして、「もう来ているかしらんて」と独言のように云い、スリッパのうしろを鳴らしながら室を出て行った。高等主任だけが机の下にスリッパをおいていて、室にいるときはそれと穿きかえるのである。 留置場へ戻され、扉があいたと同時に・・・ 宮本百合子 「刻々」
出典:青空文庫