・・・が、上京してしまった一ばん大きな原因は「ボル」が侵入してきたからであった。 ――裂けめだ。何かしら大きな裂けめだ。 ボルの理論は、まだしっかりつかめぬながら、小野から日ごとに離れてゆく自分を、三吉は感じている。しかもその大きな裂けめ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・が呱々の声を上げた旧宅の門前を過ぎ、その細密い枝振りの一条一条にまでちゃんと見覚えのある植込の梢を越して屋敷の屋根を窺い見る時、私は父の名札の後に見知らぬ人の名が掲げられたばかりに、もう一足も門の中に進入る事ができなくなったのかと思うと、な・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ わたしは何故百枚ほどの草稿を棄ててしまったかというに、それはいよいよ本題に進入るに当って、まず作中の主人公となすべき婦人の性格を描写しようとして、わたしは遽にわが観察のなお熟していなかった事を知ったからである。わたしは主人公とすべき或・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・蘆荻と松の並木との間には海水が深く侵入していると見えて、漁船の帆が蘆の彼方に動いて行く。かくの如き好景は三、四十年前までは、浅草橋場の岸あたりでも常に能く眺められたものであろう。 わたくしは或日蔵書を整理しながら、露伴先生の『言』中に収・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 道は忽ち静になって人通りは絶え、霜枯れの雑草と枯蘆とに蔽われた空地の中に進入って、更に縦横に分れている。ところどころに泥水のたまった養魚池らしいものが見え、その岸に沿うた畦道に、夫婦らしい男と女とが糸車を廻して綱をよっている。その響が・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ われわれ過渡期の芸術家が一度びこの霊廟の内部に進入って感ずるのは、玉垣の外なる明治時代の乱雑と玉垣の内なる秩序の世界の相違である。先ず案内の僧侶に導かれるまま、手摺れた古い漆塗りの廻廊を過ぎ、階段を後にして拝殿の堅い畳の上に坐って、正・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・教師はその学問の専門家であるがため、専門以外の部門に無識にして無頓着なるがため、自己研究の題目と他人教授の課業との権衡を見るの明なきがため、往々わが範囲以外に飛び超えて、わが学問の有効を、他の領域内に侵入してまでも主張しようとする事がある。・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・ と叫びながら、可憫そうな支那兵が逃げ腰になったところで、味方の日本兵が洪水のように侵入して来た。「支那ペケ、それ、逃げろ、逃げろ、よろしい。」 こうして平壌は占領され、原田重吉は金鵄勲章をもらったのである。下 ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 然るに近日、世間の風潮をみるに、政治家なる者が教育の学校を自家の便に利用するか、または政治の気風が自然に教場に浸入したるものか、その教員生徒にして政の主義をかれこれと評論して、おのずから好悪するところのものあるが如し。政治家の不注意と・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ 在昔、欧羅巴の白人が亜米利加に侵入してその土人を逐い、英人が印度地方大洋諸島に往来して暴行をたくましゅうしたるもその一例なり。今日西洋において仏国盛なり英国富むというといえども、その富のよってきたるところは何処にあるや。竜動に巍々たる・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
出典:青空文庫