・・・しかもそのまた彼の愛なるものが、一通りの恋愛とは事変って、随分彼の気に入っているような令嬢が現れても、『どうもまだ僕の心もちには、不純な所があるようだから。』などと云って、いよいよ結婚と云う所までは中々話が運びません。それが側で見ていても、・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ちょうど満洲事変が起った年で、世の中の不景気は底をついて、東京では法学士がバタ屋になったと新聞に出るという時代だったから、拾い屋といってもべつに恥しくはない。それに私は何かその男といっしょに働く喜びにいそいそとして、文子のことなどすっかり思・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・丁度満州事変が起った直後のことであった。 寮生はすべて丸刈りたるべしという規則は、私にとっては奇怪な規則であった。私は何故こんな規則が出来たのだろうかと、暫く思案したが、よく判らなかった。そこで私は、もしかしたらこれは、長髪の生徒の中に・・・ 織田作之助 「髪」
・・・編輯員の二人までがおりから始まった事変に召集されて、欠員があったのだ。こんどは怠けずこつこつと勤めて二年たつと、編輯長がまた召集されて、そのあとの椅子へついた。その秋大阪に住んでいるある作家に随筆を頼むと、〆切の日に速達が来て、原稿は淀の競・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ その頃はもう事変が戦争になりかけていたので、電力節約のためであろうネオンの灯もなく眩しい光も表通りから消えてしまっていたが、華かさはなお残っており、自然その夜も――詳しくいえば昭和十五年七月九日の夜(といまなお記憶しているのは、その日・・・ 織田作之助 「世相」
・・・一時はひっそくしかけていた鉄工所も事変以来殷賑を極めて、いまはこんな身分だと、坂田を苛めてやりたかったのである。が、さすがにそれが出来ぬほど、坂田はみじめに見えた。照枝だって貧乏暮しでやつれているだろう。「なんぞ役に立つことがあったら、・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・この日本の国体の順逆を犯した不祥の事変は日蓮の生まれるすぐ前の年のできごとであった。陪臣の身をもって、北条義時は朝廷を攻め、後鳥羽、土御門、順徳三上皇を僻陲の島々に遠流し奉ったのであった。そして誠忠奉公の公卿たちは鎌倉で審議するという名目の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・また最近の支那事変で某陸軍大尉の夫人が戦死した夫の跡を追い海に入って生命を捨てた事実は記憶に新しい。その戦死した夫の遺書には、「再婚せんと欲すれば再婚も可なり。此の世に希望なくば潔く自決すべし」と書いてあった。そして未亡人は・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
九月二十五日――撫順 今度の事変で、君は、俺の一家がどうなったか、早速手紙を呉れた。今日、拝見した。――心配はご無用だ。別条ない。 俺は、防備隊に引っぱり出された。俺だけじゃない。中学三年の一郎までが引っぱり出され・・・ 黒島伝治 「防備隊」
・・・それよりは、一九三一年の満州上海事変とその後に於て、ファッショ文学が動員されている如く、既に一八九四年の最初の戦争から一貫して、文学は戦争のために動員されていることが注目に価する。そして、そのいずれの文学も下劣極る文学だったことが注目に価す・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
出典:青空文庫