・・・また音ひとつ聞こえてこない寂然とした町であります。また建物といっては、いずれも古びていて、壊れたところも修繕するではなく、烟ひとつ上がっているのが見えません。それは工場などがひとつもないからでありました。 町はだらだらとして、平地の上に・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・ 先刻から覚めてはいるけれど、尚お眼を瞑ったままで臥ているのは、閉じたまぶたごしにも日光が見透されて、開けば必ず眼を射られるを厭うからであるが、しかし考えてみれば、斯う寂然としていた方が勝であろう。昨日……たしか昨日と思うが、傷を負・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 自分は持て来た小説を懐から出して心長閑に読んで居ると、日は暖かに照り空は高く晴れ此処よりは海も見えず、人声も聞えず、汀に転がる波音の穏かに重々しく聞える外は四囲寂然として居るので、何時しか心を全然書籍に取られて了った。 然にふと物・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・されど一村寂然たり。われは古き物語の村に入るがごとき心地せり。若者一個庭前にて何事をかなしつつあるを見る。礫多き路に沿いたる井戸の傍らに少女あり。水枯れし小川の岸に幾株の老梅並び樹てり、柿の実、星のごとくこの梅樹の際より現わる。紅葉火のごと・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・内が余り寂然しておるので「お源さん、お源さん」と呼んでみた。返事がないので可恐々々ながら障子戸を開けるとお源は炭俵を脚継にしたらしく土間の真中の梁へ細帯をかけて死でいた。 二日経って竹の木戸が破壊された。そして生垣が以前の様に復帰った。・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ 富岡の門まで行ってみると門は閉って、内は寂然としていた。校長は不審に思ったが門を叩く程の用事もないから、其処らを、物思に沈みながらぶらぶらしていると間もなく老僕倉蔵が田甫道を大急ぎで遣て来た。「オイ倉蔵、先生は最早お寝みになったの・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 十月八日病革まるや、日昭、日朗以下六老僧をきめて懇ろに滅後の弘経を遺嘱し、同じく十八日朝日蓮自ら法華経を読誦し、長老日昭臨滅度時の鐘を撞けば、帰依の大衆これに和して、寿量品の所に至って、寂然として、この偉大なたましいは、彼が一生待ち望・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・全国で一ばん若年の県会議員だったそうで、新聞には、A県の近衛公とされて、漫画なども出てたいへん人気がありました。 長兄は、それでも、いつも暗い気持のようでした。長兄の望みは、そんなところに無かったのです。長兄の書棚には、ワイルド全集、イ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・ポチは足も短く、若年でありながら、喧嘩は相当強いようである。空地の犬の巣に踏みこんで、一時に五匹の犬を相手に戦ったときはさすがに危く見えたが、それでも巧みに身をかわして難を避けた。非常な自信をもって、どんな犬にでも飛びかかってゆく。たまには・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・青き戸帳が物静かに垂れて空しき臥床の裡は寂然として薄暗い。木は何の木か知らぬが細工はただ無器用で素朴であるというほかに何らの特色もない。その上に身を横えた人の身の上も思い合わさるる。傍らには彼が平生使用した風呂桶が九鼎のごとく尊げに置かれて・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫