・・・ 作者が二十章のところで、木村の一つの経験として僅か数行で説明しているA村の地主二人が二大政党に分れて対立し、それにつれてA村の村民も二派にわかれていること、※とその強慾な番頭下山、地主の変るごとに戦々きょうきょうたるA村の小作たち・・・ 宮本百合子 「作家への課題」
・・・ 更に、ジイドの混乱の心理的原因として、旅行記の中にうかがえる微妙な数行がある。それは不思議とも思われる一つの事実であるが、どういう訳かジイドは、その便利な文化的位置にもかかわらず、一九三五年以来の新方針というものを、何か、あるとおりに・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・ ところがある雑誌には一つの注目すべき小さい数行がありました。それはアメリカの若い大学生や勤労婦人たちは特にそういう人々の生活にふさわしい、よく洗濯のきく丈夫な、色のさめないように特別な染料で染めた服地を持っているということが書かれてい・・・ 宮本百合子 「自覚について」
・・・ 追々明治初期の文学の歴史を知るようになって、二葉亭四迷のことを読んだとき、非常に印象ふかい数行があった。四迷が「浮雲」を書いたのは明治二十年のことで、二十七歳の坪内逍遙先生が「小説神髄」をあらわし、「当世書生気質」を発表して「恰も鬼ケ・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・真の勝利とは、どういうものであるかということを鳴りひびかせている数行があるだろう。 私たちは一日も早くその本を手にとって、一つ一つの文字は充分によめないとしても、ここに疑いもなく、人間の理性の環飾りがもたらされているということを感じたい・・・ 宮本百合子 「新世界の富」
・・・私ははからず率直にかかれた数行をよんで沈思せずにいられなかった。 今日の現実の再検討については、新年に創刊号を出した綜合雑誌『生きた新聞』が、注意をひく二つの論文をのせている。村松五郎氏「幽霊ファッショ論」がその一つである。日本に純・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・ ――○――◎私は自分が、空想に支配され、いつも目の先にあらゆる壮美なもの、崇高なものの幻を描きながら、毎日は手をつかね坐り、ぼんやり思いに耽って居る種類の人間であるのを知って居る。反対にAはいつも彼の手か足かで、・・・ 宮本百合子 「一九二三年夏」
・・・ それ等の涙をこぼさずにはいられなかったほど崇高な、力強い、まったく何物にも動かされない人格の力を、燦然と今日にまで輝やかせている人々は、彼等の未来に、どんな約束をも欲していなかったことが、先ず彼女を驚かせ、感歎させた。 それは偉い・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・自由は恋愛よりも崇高だ」。「少くとも今日においてはそうだ」という彼女の所謂理知の命令にしたがった結果なのである。 情熱的な、自然児風な魅力あるアグネスは場合によっては極めて単純に恋愛の感覚に運ばれてしまう。「度々単にある境地に押し流され・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
・・・ 人は喜びの極点に達した時に或る一種の悲しみを感じる、その口に云えない悲しみが美の極点にも崇高なものの極点にもある悲しみである。 その口に云い表わされない悲しみの心に宿った時、口に表わせない尊いすべての事がなされるのである。 千・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
出典:青空文庫