・・・同じ市内の電車でも、動坂線と巣鴨線と、この二つが多いそうですが、つい四五日前の晩も、私の乗った赤電車が、やはり乗降りのない停留場へぱったり止まってしまったのは、その動坂線の団子坂下です。しかも車掌がベルの綱へ手をかけながら、半ば往来の方へ体・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ と宗吉は、優しく顔を覗きつつ、丸髷の女に瞳を返して、「巣鴨はお見合せを願えませんか。……きっと御介抱申します。私はこういうものです。」 なふだに医学博士――秦宗吉とあるのを見た時、……もう一人居た、散切で被布の女が、P形に直立・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ この日は少し曇っていて、それでいて道路の土が乾き切っているので街道は塵が多く、川越街道の眺めが一体に濁っていた。 巣鴨から上野へと本郷通りを通るときに、また新しい経験をした。毎週一、二度は必ず車で通る大学前の通りが、今日はいつもと・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ まあいずれにしても私の大根裁培法が巣鴨の作兵衛氏に笑われる事だけは確かだろうと思った。 こんな事を考えたのが動機となって、ふと大根が作ってみたくなったので、花壇の鳳仙花を引っこぬいてしまってそのあとへ大根の種を蒔いてみた。二、三日・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・絵の具箱へスケッチ板を一枚入れて、それと座ぶとん代わりの古い布切れとを風呂敷で包み隠したのをかかえて市内電車で巣鴨まで行った。省線で田端まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車を待っている間にも、目に触れるすべてのものがきょうに限って異常な美し・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・その一例として去る六月十九日の晩、神保町の停留所近くで八時ごろから数十分間巣鴨三田間を往復する電車について行なった観測の結果を次に掲げてみよう。表中の時刻は、同停留所から南へ一町ぐらいの一定点を通過する時を読んだものである。時間の下に付した・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・く、明和九年二月二十九日の午ごろ目黒行人坂大円寺から起こった火事はおりからの南西風に乗じて芝桜田から今の丸の内を焼いて神田下谷浅草と焼けつづけ、とうとう千住までも焼け抜けて、なおその火の支流は本郷から巣鴨にも延長し、また一方の逆流は今の日本・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
一 昭和九年八月三日の朝、駒込三の三四九、甘納豆製造業渡辺忠吾氏が巣鴨警察署衛生係へ出頭し「十日ほど前から晴天の日は約二千、曇天でも約五百匹くらいの蜜蜂が甘納豆製造工場に来襲して困る」と訴え出たという記・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・これを例すれば植物園門前の細流を見てその源を巣鴨に探り、関口の滝を見ては遠きをいとわず中野を過ぎて井の頭の池に至り、また王子音無川の流の末をたずねては、根岸の藍染川から浅草の山谷堀まで歩みつづけたような事がある。しかしそれはいずれも三十前後・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ さらに他方には、東京の巣鴨にある十文字こと子女史が経営している十文字高等女学校では、十文字女史の息子が経営している金属工場の防毒マスクの口金仕上げのために、昨今は自分の女学校の四年と五年の生徒の中の希望者を、放課後二時間ずつ働かせてい・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
出典:青空文庫