・・・ただ、専念に祈祷を唱え、DS の御徳にすがり奉って、万一「いんへるの」の業火に焼かるる事を免るべし」と。われ、さらにまた南蛮の画にて見たる、悪魔の凄じき形相など、こまごまと談りければ、夫人も今更に「じゃぼ」の恐しさを思い知られ、「さてはその・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・ 突当らしいが、横町を、その三人が曲りしなに、小春が行きすがりに、雛妓と囁いて「のちにえ。」と言って別れに、さて教授にそう言った。 ――来た途中の俄盲目は、これである―― やがて、近江屋の座敷では、小春を客分に扱って、膳を並べて・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・と、良吉は目から熱い涙を流して、友の手にすがりました。しかし友の手は氷のように冷たかったのです。そして、顔の色は、ろうのようにすきとおって見えました。良吉は変わり果てた友の姿が悲しくて、また泣いたのであります。・・・ 小川未明 「星の世界から」
・・・歩けない者は、看護卒の肩にすがり、又は、担架にのせられて運んで行かれた。久しい間の空気のこもった病室から院庭へ出ると、圧縮された胸がすが/\しく拡がるようだ。病院へつれて来られる時には、うつゝで、苦痛ばかりを意識しながら登ってきた丘に、今、・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・死者の女房は、群集の中から血なまぐさい担架にすがり寄った。「千恵子さんのおばさん死んだの。」「これ! だまってなさい!」 無心の子供を母親がたしなめていた。 井村は、自分にむけられた三本脚の松ツァンの焦燥にギョロ/\光った視・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・つんのめり、這いあがり、ずり落ち、木の根にすがり、土を掻き掻き、少しずつ少しずつかず枝のからだを林の奥へ引きずりあげた。何時間、そのような、虫の努力をつづけていたろう。 ああ、もういやだ。この女は、おれには重すぎる。いいひとだが、おれの・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・と詠み、亡き子を想いては、「きのふ袂にすがりし子の」と詠めり。行幸の供にまかる人を送りては、「聞くだに嬉し」と詠み、雪の頃旅立つ人を送りては、「用心してなだれに逢ふな」と詠めり。楽みては「楽し」と詠み、腹立てては「腹立たし」と詠み、鳥啼けば・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ おっかさんが出て来て泣いておとうさんにすがりました。お父さんが言いました。 「ホモイ。お前はもう駄目だぞ。今日こそ貝の火は砕けたぞ。出して見ろ」 お母さんが涙をふきながら函を出して来ました。お父さんは函の蓋を開いて見ました。・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・(よくお前はさっき泣その時童子はお父さまにすがりながら、(お父さんわたしの前のおじいさんはね、からだに弾丸をからだに七つ持と斯う申されたと伝えます。」 巡礼の老人は私の顔を見ました。 私もじっと老人のうるんだ眼を見あげており・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・咫尺を解かぬ暗夜にこれこそとすがりしこの綱のかく弱き者とは知らなかった。危うしと悟る瞬間救いを叫ぶは自然である。彼らを危うしと見ながら悠々とエジプトの葉巻咽草を吹かすは逆自然である、悪逆である、さらに無道の極みである。「絶望」に面して立・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫