・・・この討論は到底相撲にならないで終結したらしい。 今年は米国へ招かれて講演に行った。その帰りに英国でも講演をやった。その当時の彼の地の新聞は彼の風采と講演ぶりを次のように伝えている。「……。ちょっと見たところでは別に堂々とした様子など・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・が襲って来て教室の建物は大破し、崩壊は免れたが今後の地震には危険だという状態になったので、自分の病気が全快して出勤するようになったときは、もう元の部屋にははいらず、別棟の木造平屋建の他教室の一室に仮り住いをすることになった。その時でもまだ元・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・T君の住まいは玄関から座敷まで百何十メートル登らなければならないのである。観測の成効を祈りつつ別れをつげた。 往路に若い男女の二人連れが自分たちの一行を追い越して浅間のほうへ登って行った。「あれは大丈夫だろうか」という疑問がわれわれ一行・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・どうせこういう種類の下宿屋住居で、そうそう愉快な室もないはずであるが、しかし随分思い切って侘しげな住まいであった。具体的な事は覚えていないが、そんな気持のした事は確かである。 机と本箱はあった。その外には幾枚かのカンヴァスの枠に張ったの・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・その以前から持ってはいたが下宿住まいではとかく都合のよくないためにほとんど手に触れずにしまい込んであったのを取り出して鳴らしていたのである。もっともだれに教わるのでもなく全くの独習で、ただ教則本のようなものを相手にして、ともかくも音を出すま・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・境川や陣幕の如き相撲はその後には一人もない。円朝の後に円朝は出なかった。吉原は大江戸の昔よりも更に一層の繁栄を極め、金瓶大黒の三名妓の噂が一世の語り草となった位である。 両国橋には不朽なる浮世絵の背景がある。柳橋は動しがたい伝説の権威を・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・上田敏先生もいつぞや上京された時自分に向って、京都の住いもいわば旅である。東京の宿も今では旅である。こうして歩いているのは好い心持だといわれた事がある。 自分は動いている生活の物音の中に、淋しい心持を漂わせるため、停車場の待合室に腰をか・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・かくの如く都会における家庭の幽雅なる方面、町中の住いの詩的情趣を、専ら便所とその周囲の情景に仰いだのは実際日本ばかりであろう。西洋の家庭には何処に便所があるか決して分らぬようにしてある。習慣と道徳とを無視する如何に狂激なる仏蘭西の画家といえ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・それにも飽き足らず、この上相撲へ連れて行って、それから招魂社の能へ誘うと云うんだから、あなたは偉い。実際善人か悪人か分らない。 私は妙な性質で、寄席興行その他娯楽を目的とする場所へ行って坐っていると、その間に一種荒涼な感じが起るんです。・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
出典:青空文庫