・・・高さ五間以上もある壁のような石垣ですから、私は驚いて止めようと思っているうちに、早くも中ほどまで来て、手近の葛に手が届くと、すらすらとこれをたぐってたちまち私のそばに突っ立ちました。そしてニヤニヤと笑っています。「名前はなんというの?」・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・と大森は巻き紙をとってすらすらと書きだした。その間に客は取り散らしてあった書類を丁寧に取りそろえて、大きな手かばんに納めた。「中西の宿はずいぶんしみったれているが、彼奴よく辛抱して取り換えないね。」と大森は封筒へあて名を書きながら言った・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・ 船は追手の風で浪の上をすらすらと走って、間もなく大きな大海の真中へ出ました。 そうすると、さっきのむく犬が、用意してある百樽のうじ虫をみんな魚におやりなさいと言いました。ウイリイはすぐに樽をあけて、うじ虫をすっかり海へ投げこみまし・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ 女は間もなく、髪をすいてしまって、すらすらとこちらへ歩いて来ました。ギンはだまってパンとバタをさし出しました。女はそれを見ると顔をふって、「かさかさのパンをもった人よ、 私はめったに、つかまりはしませんよ。」と言う・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・どこまで出るかと続けて引っ張るとすらすらとすっかり出る。 自分はそれをいくつにも畳んでみたり、手の甲へ巻きつけたりしていじくる。後には頭から頤へ掛けて、冠の紐のように結んで、垂れ下ったところを握ったまま、立膝になって、壁の摺絵を見つめる・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・おかみさんと顔が合ったとたんに私は、自分でも思いがけなかった嘘をすらすらと言いました。「あの、おばさん、お金は私が綺麗におかえし出来そうですの。今晩か、でなければ、あした、とにかく、はっきり見込みがついたのですから、もうご心配なさらない・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ 嘘が不思議なくらい、すらすらと出ました。本当にその日は、お盆の十三日でした。よその女の子は、綺麗な着物を着て、そのお家の門口に出て、お得意そうに長い袂をひらひらさせて遊んでいるのに、うちの子供たちは、いい着物を戦争中に皆焼いてしまった・・・ 太宰治 「おさん」
・・・鴎外自身の小説だって、みんな書き出しが巧いですものね。すらすら読みいいように書いて在ります。ずいぶん読者に親切で、愛情持っていた人だと思います。二つ、三つ、この第十六巻から、巧い書き出しを拾ってみましょう。みんな巧いので、選出するのに困難で・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・そうしておもしろいことにはこのシーンの伴奏となりまた背景ともなる音響のほうはなんの滞りもなくすらすらと歌の言葉と旋律を運んで進行していることである。もしもこれが無声であるかあるいは歌はあってもこの律動的な画像がなかったとしたら効果は二分の一・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ひらへのせて、毎日暇さえあればしみじみとながめている、するとその米粒がだんだんに大きく見えて来ておしまいには玉子のように、また盆のように大きく見えてくる、その時にまつ毛を一本抜いて、それに墨汁を浸し「すらすらと書けばよい」という話である。真・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
出典:青空文庫